細川 正清 (千葉大学薬学部薬物学研究室)
私たちの生活環境には、医薬品、農薬、食品添加物、環境化学物質など膨大な数の合成化学物質に満ちあふれている。これらの化学物質は、それぞれ人間の生活において、疾病の治療、農業生産の向上、食品の保存、健康の増進や快適な生活環境を維持していく上で、重要な役割を果たしており、現代人が生活する上で必要不可欠なのもとなっている。しかしながら、これらの化学物質は、自然環境に多大な影響を与えており、さまざまな影響を及ぼすことがわかっている。現代社会は、このような合成化合物を有効利用し、その恩恵をうけることにより発展してきたのだが、このような化学物質の危険性を認識しなければならない。近年、化学物質の安全性や危険性に対する科学的検討が行われているが、解明されていない多くの未知の部分が残されているのも事実である。化学物質の中でも医薬品は、治療の目的で人間の体内に摂取されるが、ときには本来の目的とは異なる副作用が生じ重篤な症状が惹起される場合もある。このような薬物の有害作用に対する研究は、数多く行われているにも関わらず、未だに解明できない点が多い。一方、医薬品以外の化学物質、特に環境化学物質に関しては、摂取量が不明で曝露環境がそれぞれ異なるため、生物に対する有害作用と作用機序が不明なものが多く、早急な科学的な解明が望まれている。ところで、人間を含めた哺乳動物の肝臓には多くの酵素が存在しているが、これらの酵素の中で薬物代謝酵素と呼ばれている一群の酵素は、医薬品を代謝する酵素として重要な役割を果たしている。この薬物代謝酵素は、動物が食物を含めた外来物質がら自分自身を守るために必要な酵素であると考えられている。医薬品を含めた合成化学物質のなかには、天然の物質を模倣したものも多いことから、これらの化合物の解毒や代謝的活性化において重要な役割を果たしているものと考えられている。そこで、今回の市民講座では、哺乳動物の肝臓に含まれる薬物代謝酵素に対する、環境化学物質の影響を中心に延べたい。
![]() |
図1.肝臓の薬物代謝酵素による外因性物質の解毒および代謝活性化 |
表1.肝臓の薬物代謝酵素による環境化学物質の代謝的活性化 | |
化合物 | 代謝的活性化 |
2-アセチルアミノフルオレン | N-水酸化 |
アフラトキシンB1 | エポキシ化 |
ベンゼン | エポキシ化とそれに続く代謝 |
ベンゾ[a]ピレンと関連化合物 | エポキシ化、他の代謝経路 |
ブロモベンゼン | エポキシ化 |
ジメチルニトロソアミン | α酸化;カルボニウムイオン生成への転移 |
ポリ塩化ビフェニール | エポキシ化と環水酸化とそれに続くカテコールの酸化 |
トリクロロエチレン | エポキシ化 |
塩化ビニル | エポキシ化、他の代謝経路 |
表2.種々の化合物による薬物代謝酵素およびペルオキシソーム酵素の誘導 | |||
化合物 | ペルオキシソーム酵素 (脂肪酸β酸化酵素) | 薬物酸化酵素 (CYP4504A1) | 加水分解酵素 (carboxylesterase) |
ジ-2-エチルヘキシルプタレート | +++ | +++ | +++ |
モノ-2-エチルヘキシルプタレート | +++ | +++ | +++ |
2,4-ジクロロフェノキシ酢酸 | +++ | N.D. | N.D. |
2,4,5-トリクロロフェノキシ酢酸 | +++ | N.D. | N.D. |
パーフルオロ脂肪酸 | +++ | N.D. | +++ |
クロフィブレート | +++ | +++ | +++ |
N.D. not determined |
表2に種々の化合物による薬物代謝酵素およびペルオキシソーム酵素の誘導について示したが、この中でジ-2-エチルヘキシルプタレート (DEHP) およびモノ-2-エチルヘキシルプタレート (MEHP) は、プラスチック可塑剤として汎用されており、私たちの生活環境中に多く含まれている。DEHP は肝細胞で加水分解され MEHP に代謝活性化されることにより酵素誘導作用を示すことが報告されている。また、これらの化合物はラット、マウスなどでは発現生が報告されているが、発がんの機構については明らかとなっていない。
また、ペルオキシソームを増殖する化合物はここに示した以外にも多くの化合物が報告されているが、いずれも構造に特徴がなく、幅広い化合物により酵素誘導をうけることが明らかとなっている。また、これらの化合物はペルオキシソーム酵素を誘導することから、脂質代謝の大きな変動をもたらし、多くの場合、脂質低下がみられる。表2に示した薬物代謝酵素のうち CYP4A1 は脂肪酸のオメガ水酸化酵素活性を有しており carboxylesterase (CES) は、長鎖脂肪酸エステルの加水分解活性を有するなど、いずれも場合も脂質代謝に関係していることから、なんらかの生理的機構により誘導されることも考えられている。これらの化合物による酵素誘導の機構については明らかになっており、PPAR (peroxisome proliferator activated receptor) とよばれる受容体が、ビタミンAの受容体である RXR (retinol x receptor) と核内でヘテロ2量体を形成し、誘導される酵素遺伝子の5'上流の PPRE (operoxisome proliferator responsive element) とよばれる塩基配列に結合することにより、酵素タンパクの合成過程における転写を促進し、酵素誘導を起こす。しかしながら、PPAR の活性化の機構については明らかになってはいない。また、この誘導には大きな種差が報告されていることから、動物間での酵素誘導機構の差異について明らかにする必要がある。
このように、プラスチック可塑剤のように生活環境中に多く含まれる物質により、肝臓の酵素が誘導をうけることが明らかになっているが、実際に酵素誘導による毒性作用については明らかになっていない。しかしながら、少なくとも生体内の脂質代謝には大きな影響をあたえることが明らかになっており、今後も注意深い検討が必要であると考えられる。
表3.ヒト肝がん由来細胞における薬物代謝酵素の発現と酵素誘導 | |||||
化合物 | CYP isozyme | FLC4 | FLC5 | FLC7 | HepG2 |
β-ナフトフラボン | CYP1A/1B | +++ | +++ | +++ | +++ |
リファンピシン | CYP3A | ? | ? | + | + |
表3に示したように、β-ナフトフラボン (BNF) によりヒト肝由来細胞株全てにおいて、EROD 活性の増加、CYP1A1 含量および mRNA の増加、CYP1B1 mRNA の増加が認められた。このことより、BNF により、CYP1A1 および CYP1B1 分子種の誘導が。ヒト CYP1A1 は今回使用した BNF のほか環境化学物質であるダイオキシンにより誘導されることが報告されており、誘導のメカニズムとしては、ダイオキシンなどの環境化学物質がアリルハイドロカーボン受容体 (AhR) に結合した後、核内でAhR核移行因子 (Arnt) とヘテロ2量体を形成し、CYP1A1 遺伝子の 5'上流領域の xenobiotic responsive element (XRE) に結合することにより転写が促進されることが明らかとなっている。そこで、FLC 細胞株における誘導機構を調べるために FLC4 細胞株の核タンパク抽出液を用いたところ、XRE に対する核タンパクの特異的な結合が認められ、FLC4 細胞株に AhR が存在することが示唆され、FLC 細胞株における CYP1A1 の誘導はヒト肝細胞と同様の機構で行われているものと考えられた。
このように、今回 FLC 細胞株において AhR を介する CYP1A の誘導が認められたことから、FLC 細胞株が環境化学物質による酵素誘導の in vitro 評価系としても有用である可能性が考えられた。特に、FLC4 は EROD 活性および CYP1A1 タンパク含量および CYP1A1 mRNA の高い誘導を示しており、環境化学物質による CYP1A の誘導を評価する in vitro 系として、極めて有用であると考えられた。