女性ホルモンと精巣

外山 芳郎 
(千葉大学医学部解剖学第二講座)

 この50年間にヒトの精液性状(精液量、精子濃度、精子数、精子の運動率)が劣化したという報告が8年前にされて以来、精巣腫瘍や精巣下降不全(腹腔内精巣、停留精巣、停留睾丸、陰睾等、種々な名称があります)の発生率の増加を報告した論文が散見されます。人類の存続さえも脅かすようなこのような変化の原因を環境ホルモンに求める研究者もいます。一方、このような変化は認められない、という研究者もいて、人類に関しては精液性状の劣化等の有無についてはまだ見解の一致をみていません。しかし野生動物においては、種々の異常、とくに生殖器、生殖行動の異常が環境ホルモンに起因していることは事実です。この場合、オスがメス化する例が大部分です。

 男性ホルモンは喉仏を大きくし、髭を生やし、筋肉を逞しくし、精巣で精子を作ります。一方、女性ホルモンは胸を豊かにし、皮下脂肪を適度に貯えて女性特有の体型を作ったり、月に一度の排卵をさせます。このように、私たちは女性ホルモンと精巣とは無関係であると思いがちですが、最近、精巣にも女性ホルモンの受容体(リセプター)のあることが判りました。ということは、精巣でも女性ホルモンが働いている訳です。

 ここで受容体について少しご説明します。ホルモンとその受容体の関係は電波と受信機の関係に例えられます。あるホルモンに対してはその受容体が決まっており、そのホルモンと受容体が結合して、初めてそのホルモンの働きが開始されます。ちょうど、テレビの電波があっても、ラジオではテレビ番組を楽しむことは出来ませんし、ラジオの短波放送の電波があっても、私たちの持っている普通のラジオでは短波放送を受信出来ないのと同じです。免疫のお話によく出てくる抗原と抗体の結合のように、ホルモンとその受容体の結合でも鍵と鍵穴の関係が成立します。しかし、抗原・抗体結合とホルモン・受容体結合の少し違うところは、ある種のホルモン(女性ホルモンもそうですが)の受容体はそのホルモンと結合するのは勿論ですが、例外的にそれ以外の物質とも結合してそのホルモン作用を現してしまいます。環境ホルモンの問題もこれに起因する訳でして、世間を騒がせているビスフェノールAにしろ、DDT にしろ、多くの環境ホルモンは女性ホルモン受容体と結合してしまうのです。そして本当の女性ホルモンの結合する場を横取りしてしまいます。先程の電波と受信機の例えを用いるならば、カーラジオで FM 放送を聞いている時に近くを走っているトラックの無線の会話が雑音として飛び込んできて、せっかくの楽しい音楽が邪魔されるようなものです。

 本日の私のお話は、女性ホルモンの精巣への影響です。それも、女性ホルモンの正常な作用ではなく、女性ホルモンを過剰に投与したら精巣はどうなるか、のお話です。

 この影響を調べるために2つの実験をしました。

 1つは成熟した精巣に女性ホルモンがどう影響するかを調べる実験です。もう1つは新生仔、すなわち生まれたばかりの実験動物の未熟な精巣に対する女性ホルモンの影響です。

 第一の実験では成熟オス・マウスに天然女性ホルモンであるエストラジオール・ベンゾエイトを何日間か連続投与しました。すると精子細胞(精子になる1つ前の段階の細胞)の核(次世代に伝える遺伝子が入っている所)と先体(核の前半分を帽子状に被う構造であり、受精に際して必要な酵素を含む所)に奇形が見られました。この作用は一過的であり、女性ホルモンの投与をやめると、後続の精子細胞には奇形が起こりません。しかし、一度奇形になった精子細胞は精子になっても奇形のままです。投与を継続するとその期間だけ奇形精子が次から次と作られます。なぜこのような奇形精子が出来るかは解っていませんが、1つの可能性として、精子細胞の先体および核を外から包み込んでいるセルトリ細胞の特殊接合装置に部分的な欠損が見られたので、もしかしてこの欠損が精子細胞の形態形成に悪影響を与えるのかもしれません。ここでセルトリ細胞について少しご説明しますと、セルトリとはイタリアの研究者の名前でして、この細胞は精巣の中で造精細胞(将来、精子になる細胞)と同居しています。そして造精細胞にピタリと寄り添い、造精細胞が精祖細胞 ⇒ 精母細胞 ⇒ 精子細胞 ⇒ 精子へと分化するのを助けます。そしてセルトリ細胞の特殊接合装置とは、セルトリ細胞が精子細胞の核の部分を先体と共に包み込んでいる部分のことを言い、電子顕微鏡でしか見えません。このセルトリ細胞と精子細胞の位置的関係を例えて言うならば、つきたての餅の中に握りこぶしをズブリと入れた形と言えます。セルトリ細胞は餅であり、精子細胞は握りこぶしとそれに続く手首や腕です。そして、特殊接合装置は握りこぶしを包み込むようにカップ状に存在します。そしてこの特殊接合装置に部分的な欠損があったので、握りこぶしの形が歪められたと考えられます。しかし、もしこの考えが正しいとしても、成熟した精巣に過剰量の女性ホルモンが働くとなぜこの特殊接合装置に部分的な欠損が起こるかという疑問が生じます。結局、原因はまだ解りません。

 第二の実験では、新生仔のオス・ラットおよびマウスにジエチルスティルベストロール (DES) を10日間投与しました。そしてこの動物の精巣を日齢を追って調べました。

 DES は合成女性ホルモンです。1940年代の後半から1950年代にはおもに切迫流産防止のために世界中で用いられました。そればかりでなく、家畜を効率よく太らせるために肉牛や豚の飼料にも混ぜられました。畜産分野では目立ちませんでしたが、切迫流産防止のために用いられた DES は、サリドマイド事件にも増して世界を震撼させました。流産をまぬがれて生まれてきた可愛い赤ちゃんは健やかに育ちましたが、その子が思春期になると女性では膣癌、男性では精巣腫瘍が多く発生したからです。

 DES 投与動物の精巣は思春期まで正常に育ちましたが、思春期以後では精子が作られていませんでした。造精細胞は精母細胞まで発育していましたが、それ以後の造精細胞はありませんでした。結局、DES 投与動物では減数分裂が遂行されていなかったことが解りました。ここで減数分裂について少しご説明します。減数分裂は卵子、精子の形成過程に行なわれ、生殖細胞独特の分裂方法です。造精細胞の減数分裂は精母細胞が精子細胞になるときに行なわれます。卵子にしろ、精子にしろ、この分裂により染色体数が半分になるので減数分裂と呼ばれます。

 新生仔期に DES を投与された動物では、その動物が思春期に達してもなぜ減数分裂が起こらないかという疑問については、やはり電子顕微鏡で解りました。精巣には血液・精巣関門という仕組みがあり、減数分裂中の精母細胞、減数分裂を終えた精子細胞、および完成した精子は体内を流れている血液からこの関門により隔離され、特殊な環境下で育てられます。精母細胞が一人前の精子になるまでは周囲に堅固な関所を設けた砦の中で保護されなくてはいけないのです。DES 投与動物ではこの関所が形成されていませんでした。血液・精巣関門の構造は、セルトリ細胞の特殊接合装置とほぼ同じです。結局、新生仔 DES 投与動物では思春期になっても血液・精巣関門が形成されないために精子形成に必要な環境が整わず、精母細胞の減数分裂が行なわれなかったことが解りました。しかし、新生仔 DES 投与によりなぜ血液・精巣関門が出来なかったかについてはまだ解りません。

 この二つの実験で解ったように、過剰に投与した女性ホルモンは投与した時期に差はあるものの、精子形成障害を起こします。その機序はセルトリ細胞の特殊接合装置または血液・精巣関門の異常によることが解りました。しかし、この異常をおこす分子生物学的機序についてはまだ解りません。

 これらの結果は即、環境ホルモンは精子形成を阻害するという訳では絶対ありません。ある極端な実験条件下での例としてお話ししました。これらの実験で用いた女性ホルモンをもしヒトに用いるならば、耳掻き数杯ほどの女性ホルモンを投与することになります。ヒトがこれほど多量の女性ホルモンに、それも連続して曝露されることは、まずありません。