昭和59年5月安達惠美子助教授が教授に就任した。国立大学臨床系における初の女性教授誕生である。安達教授は昭和60年5月第23回国際臨床視覚電気生理学会(ISCEV)において「Facial and scalp field distribution of pattern evoked response in multiple sclerosis」の特別講演を行った。昭和61年6月に第3回関東眼科学会が安達教授会長の下で千葉で開催された。同教授は昭和63年7月ドイツ連邦共和国官邸(ボン市)にてウァイツゼッカー大統領よりシーボルト賞を授与された。これは日独の文化交流に貢献した学者に毎年一人に授与される賞で、1978年に設立された。このうち臨床医学の領域では2人目で、女性として初めての受賞であった。名誉ある業績の一つとして教室の歴史に残るものである。
平成元年5月、第93回日本眼科学会総会の宿題報告で安達教授は「目の老化―視機能老化の客観的評価―誘発電位の語るもの」を発表した。この宿題報告は眼 、脳も含めた高齢者における視覚の機能について、視覚誘発電位を指標として評価した結果をまとめたものであり、高年齢化社会となっていている現代における老化の問題に大きな寄与をした。また平成2年3月の国際眼薬理学会において、 「Effect of dopamine on ERG and VECP in Parkinson's disease」と題する特別講演を行った。教室の研究は、視神経疾患網膜疾患に関する電気生理学的な研究が主体であるが、安達教授は組織学的な研究にも関心を持って進めていたため、平成2年4月弘前大学助教授木村 毅が助教授として転任して以来、その方面の研究に関しても多くの成果があげられている。
安達教授の福祉事業に対する業績も多大である。赴任早々、千葉県にアイバンクが無いことを憂い、昭和60年千葉県アイバンク協会を財団として設立した。角膜移植のため、昼夜を問わず、角膜提供者への医局員の派遣に努力された。
平成7年(1994年)には国際網膜色素変性症協会(IRPS: International Retinitis Pigmentosa Association)の日本支部(JRPS: Japanese Retinitis Pigmentosa Society)を設立し、千葉大学眼科に事務局をおき、学術理事長として活動した。8年余に渡る熱心な国内外での活動により団体の内容を充実させ、2002年8月には、第12回国際網膜世界会議を主催した。アジア地域では初めての開催であった。その功績により、国際本部会長 Fasser 氏より賞状が送られ、また教室員一同の福祉活動は国際的にも評価されている。この間、平成10年1月に木村 毅助教授が退官し開業された。平成12年に、後任として藤本講師が助教授に昇任した。
安達教授は、学術関係では国際臨床視覚電気生理学会副会長、理事として18年活動している。また昭和61年より厚生省特定疾患網脈絡膜調査研究斑の班員として活躍した。
そのかたわら、Vision Reserach, Clinical Vison Science, Documenta Ophthalmologica など国際誌の編集委員を務めるなど国際的にも活躍した。学会活動も、平成5年に第31回国際臨床視覚電気生理学会会長、平成8年に第36回日本神経眼科学会会長、平成11年に第103回日本眼科学会総会会長、平成14年には第12回国際網膜世界会議・第50回日本臨床電気生理学会会長などの重責を果たした。
教室の特色ある研究結果は、平成元年の第93回日本眼科学会総会の宿題報告「『眼と老化』 視機能老化の客観的評価―誘発電位の語るもの―」に続き、平成12年第104回日本眼科学会総会の特別講演において「視神経炎―診断から視神経移植まで−」を担当、電気生理学的検査、画像診断から、視神経移植に至る視神経に関する当教室の集大成ともいえる講演を行い会員に感銘を与えた。これらはすべて、教室における網膜・視神経の機能研究の発展へ繋がっている。その翌年の平成12年11月には日本医師会医学賞を授賞した。臨床面の発展もめざましく、常勤の関連病院は28と拡充し、医局員100余名と年々増加し、硝子体、網膜手術から、形成、眼腫瘍手術、角膜移植等全てを網羅するスタッフが育成され、年間1000件余りの手術件数を数える。
安達教授は平成15年3月をもって停年退官し、退官記念祝賀会がホテルニューオータニ幕張において、盛大に催された。また長年の功績に対して名誉教授の称号が授与された。さらに同年、紫綬褒章受章、日本女医会吉岡弥生賞受賞の栄に浴し、千葉大眼科はお祝い続きとなった。