肺癌および前癌病変の遺伝子異常


千葉大学大学院医学研究院基礎病理学
廣島健三


はじめに

わが国の1998年の肺癌による死亡数は、男性36,880人、女性13,991人で、人口10万人に対する死亡率は、男性60.2、女性21.9である1)。死亡率を1950年と1998年で比較すると、男性は31.7倍、女性は27.4倍に増加している(Fig. 1)。 肺癌の予後は診断時の病期に依存する。われわれの大学の胸部外科における1985-1994の間に摘出術をうけた原発性肺癌の病期別術後成績は、I期の5年生存率が75.5%と良好なのに対して、II期以上は5年生存率が50%以下となり、特にIIIA期以上は不良である2)。

肺癌における遺伝子異常

肺癌は癌原遺伝子(myc、K-rasなど)が活性化したり、癌抑制遺伝子(p53、RBなど)が不活化したりすることにより発生する。癌原遺伝子は点突然変異や増幅により活性化する。癌抑制遺伝子の不活化は片方の対立遺伝子に点突然変異がおこり、他方の対立遺伝子に欠失がおこることによることが多い。

RAS遺伝子
Ras癌遺伝子産物は細胞シグナル伝達系路上に位置付けられている。Ras癌遺伝子産物はGTPあるいはGDPに結合し、細胞膜の内側に結合している。Ras癌遺伝子産物はGTPと結合していると活性化状態にあり、GDPと結合していると非活性である。細胞たんぱく質GAPによりRas癌遺伝子産物のGTPase活性が亢進し、GTP結合型からGDP結合型になる。Ras遺伝子の変異はcodon 12におこることが多く、その他codon 13、 codon 61にも起こる。Ras遺伝子に変異がおこると、GTPase活性が低くなり、Ras癌遺伝子産物はGTP結合型のままとなり、下流へシグナルが常時送られる(Fig. 2)。

RB遺伝子
RB蛋白は、低リン酸化型では転写因子E2Fと結合し、高リン酸化型になるとE2Fは解離し、E2Fにより細胞周期はG1期からS期に入る。サイクリン・サイクリン依存性キナーゼはRB蛋白をリン酸化し、E2Fを解離する。p16はサイクリン・サイクリン依存性キナーゼを抑制することにより、細胞周期がS期に入ることを抑制する。p21もまた、サイクリン・サイクリン依存性キナーゼを抑制する。p21はp53により調節されている(Fig. 3)。

p53癌抑制遺伝子
野生型p53蛋白はサイクリン依存性キナーゼのinhibitorであるp21のプロモーター領域に結合する。サイクリン・サイクリン依存性キナーゼが抑制されるとRB蛋白はE2Fと結合し、細胞周期はS期に入らずDNA合成はおきない。また、p53蛋白はGADD45 (growth arrest DNA damage protein)を調節する。GADD45はPCNA (proliferating cell nuclear antigen)に結合することによりDNA合成を抑制する。また、p53蛋白はBaxを誘導し、Bcl-2を抑制することにより、アポトーシスをおこす。p53蛋白は、以上の機序によりDNAに障害が生じた場合に、その障害が修復されるまで細胞の回転を停止させたり、DNAの障害が生じた細胞にアポトーシスを起こしたりすることにより、傷ついた遺伝子情報が伝わらないようにしている。

LOH解析
あるmicrosatellite markerが患者の正常組織でヘテロ接合性であり、腫瘍組織でヘテロ接合性が消失した場合(loss of heterozygosity, LOH)、ヘテロ接合性を消失した領域に癌抑制遺伝子の存在が示唆される。LOH解析により肺癌では1p,1q,3p,5q,8p,9p,11p,13q,17p,22qなどの欠失が報告されており、ここに癌抑制遺伝子が存在すると考えられている。これらのうち、最も頻度の高いものは3p、9p、17p、13qである。9pにはp16が、17pにはp53が、13qにはRBの各癌抑制遺伝子が存在する。

前癌病変における遺伝子異常

異形成、扁平上皮化生
中枢性肺癌の多くは扁平上皮癌で、これは過形成、扁平上皮化生(squamous metaplasia)、異形成(squamous dysplasia)、上皮内癌(carcinoma in situ, CIS)、浸潤癌(invasive cancer)の順に進行し、過形成、扁平上皮化生、異形成は扁平上皮癌の前癌病変と考えられる。扁平上皮化生は重層扁平上皮よりなり、核は小型である。異形成は核が大型になり、核小体が腫大しているものもあるが、最上層は扁平な上皮よりなる。上皮内癌は核が更に大型になり、核小体も目立ち、核分裂像、核の大小不同もみられる。上皮全体がこのような細胞に置き換わるが、この異型細胞は上皮内にとどまり、基底膜を越えていない。浸潤癌は基底膜を越えて浸潤し、上皮内癌にくらべて核の大小不同が更に目立ち、核分裂像も多数みられる(Fig. 4)。
われわれは、手術にて摘出された標本を用いて、癌巣と同時に存在する前癌病変の遺伝子異常を検討した3)。対象は35例の扁平上皮癌症例および同時にみられた異形成あるいは扁平上皮化生35病巣である。3pおよび9pのそれぞれ2つのmicrosatellite markerを用いて、LOHを検討し、また、制限酵素を使ったPCR-RFLP法によりp53のcodon 72の多形性を検討した。p53の突然変異はPCR-SSCP法により検討し、移動度の異なるバンドはゲルからDNAを抽出し、dideoxy法により塩基配列を確認した。異形成のうち8病変にLOHを認めた。3pのLOHは4例に、9pのLOHは2例に、17pのLOHは4例にみられ、p53の突然変異は2例にみられた。異形成にみられる遺伝子異常は同時に存在する癌にみられる遺伝子異常と同じであった。1例は、癌と異形成に同じp53の突然変異がみられたが、3pのLOHは癌のみにみられ、遺伝子異常の蓄積により異形成から癌に進行することが示唆される。
Franklinらは、肺癌を発症していない重喫煙者が腸閉塞の手術のあとに突然死亡した解剖例を用いて遺伝子異常を検討した。気道には広範囲にわたり異形成がみられ、その10箇所のうち7箇所にp53の同じ突然変異(codon 245にtransversion)が見られた4)。
われわれの研究結果やFranklinらの結果から、喫煙者の気道上皮には、喫煙への繰り返す暴露により、癌になる前に既に遺伝子異常がおきていることがわかる。また、前癌病変における遺伝子異常が癌と同じであり、また前癌病変間でも同じであることより、喫煙者の気道には1つのクローンが増殖しており、多くの遺伝子異常が蓄積することにより癌が発生することがわかる。

喫煙者と非喫煙者の気道上皮
次に喫煙者と非喫煙者の気道上皮でのLOHの頻度を検討した論文を紹介する。 Maoらは、気管支鏡により採取された標本を用いて、肺癌を発症していない喫煙者の気道のLOHを検討した。LOHは、3p14で75%の症例にみられ、9p21で57%、17p13で18%であった。また、現在も喫煙しているcurrent smokerと、喫煙歴があるが1年以上前に禁煙したformer smokerのLOHを比較した(Table 1)。current smokerはformer smokerよりも3p14において優位に高い頻度のLOHを示した5)。
Wistubaらも同様の検討を行った。喫煙者の気道上皮には3pと9pのLOHが高頻度にみられ、13q,17p,5qよりも優位に高頻度であった。また、喫煙者の86%にLOHが認められたが、非喫煙者にはLOHが認められなかった。また、current smokerとformer smokerの間にLOHの頻度に差はないと報告しており、Maoらとは異なる結果であった。喫煙者の気道からとられた組織学的に正常とされた標本にも、約半数でLOHを認めた6)。
喫煙者が禁煙をすると肺癌により死亡するriskは減少するが、15-25年間は非喫煙者と同じriskにはならない。禁煙により3pのLOHが消失するかどうか、更に追試が必要である。

p16のメチル化
p16はサイクリン・サイクリン依存性キナーゼを抑制する。p16の不活化は欠失や突然変異でおきるが、p16のメチル化もp16を不活化する重要な機序である。 Belinskyらは、p16のメチル化の頻度は、扁平上皮癌は18例中11例(61%)に、上皮内癌は6例中3例(50%)に、扁平上皮化生は17例中4例(24%)に、過形成は12例中2例(17%)にみられたと報告している7)。p16のメチル化は、前癌病変でもおきていることを示す。

テロメラーゼ活性
ヒトの染色体の両端にあるテロメアは細胞分裂ごとに短縮する。肺癌組織ではテロメラーゼというテロメアを延長しうる酵素の活性が高頻度で検出される。蛍光内視鏡で採取された気道病変におけるテロメラーゼ活性の値は、扁平上皮化生、異形成では正常よりも高く、肺扁平上皮癌では更に高い。テロメラーゼ活性は肺癌および前癌病変のマーカーとなりうることが示唆される8)。

喫煙者の気道上皮の増殖能
われわれは、蛍光内視鏡による検査で採取された標本を用いて、細胞増殖能の指標であるKi-67抗原に対する抗体MIB-1で、前癌病変のどの時点で増殖能が高くなるか、また喫煙者と非喫煙者の正常上皮で増殖能が異なるかを検討した。喫煙者の正常気管支上皮のLabeling index (LI)は非喫煙者のLIよりも高く、統計学的に有意差を認めた。また、扁平上皮化生、異形成、扁平上皮癌はともに喫煙者の正常気管支上皮のLIよりも高く、統計学的に有意差を認めた(Fig. 5)。このことから、喫煙者の正常気管支上皮は非喫煙者よりも増殖能が高く、扁平上皮化生、異形成、扁平上皮癌となると更に高まることがわかる。肺癌を発症していない喫煙者の気道上皮でも増殖能が増加しており、気道上皮の増殖能の増加は肺癌への細胞変化のもっとも初期におきる変化であることが推測される。
次に、同じ標本で、DO-7を用いた免疫染色で、p53蛋白の発現をみた。異形成と扁平上皮癌は正常組織に対して、優位に高い発現率を示した。このことから、扁平上皮癌にみられるp53蛋白の過剰発現は異形成で既におきていることがわかる。

異型腺腫様過形成
WHOの組織分類によると異型腺腫様過形成(atypical adenomatous hyperplasica, AAH)は、肺胞あるいは細気管支の内面が単一の立方形または低い円柱状細胞に覆われ、細胞質が少なく、核のクロマチンは増量するが、核小体は目立たない5mm以下の病変とされている9)。AAHが過形成なのか腫瘍なのか議論がある。また、その組織像の類似性から、腺癌の前癌病変と推定されているが、中枢気道の病変と異なり、生検により組織像を確認しながら、follow upすることができないため、AAHから腺癌が発生することを組織学的に証明することは不可能である。
しかし、近年、以下のような報告があり、AAHは腺癌の前癌病変と考えられるようになった。まず、AAHにp53やc-erb-B2の過剰発現があり10)、また、K-ras突然変異がおきていることが報告された11,12)。また、AAHはmonoclonalな増殖であることが示された13)。われわれは腺癌とAAHが同時に存在する症例で遺伝子異常を検討した3)。症例は腺癌26例および同時にみられた28病巣のAAHであり、AAHのうち3例に遺伝子異常を認めた。3pのLOHが2例、9pのLOHが1例、p53の突然変異が1例である。いずれもAAHに遺伝子異常が認められた場合は、同時に存在する腺癌にも同じ異常が認められた。われわれの検討結果も、中枢気道にみられた異形成と同様に、AAHの一部には同時に存在する癌と同じ遺伝子異常がおきており、AAHを前癌病変とする考えを示唆する。

臨床検体における遺伝子異常

Maoらは、年に3回の喀痰細胞診と年1回の胸部レントゲン写真検査により肺癌のスクリーニングをおこなうプロジェクトで発見された15人の腺癌または大細胞癌患者の、腫瘍組織と保存してあった喀痰の突然変異をretrospectiveに検討した(Table 2)。15例中、10例の腫瘍組織にK-rasまたはp53の突然変異を認め、うち、8人の喀痰に癌と同じ突然変異を認めた。うち1例は臨床的に診断される13ヶ月前の喀痰に、癌と同じ遺伝子異常があることがわかった。4ヶ月前の喀痰に異常を認めた症例が1例、3ヶ月前の喀痰に異常を認めた症例が1例あった14)。
Somersらも喀痰中のK-rasの突然変異を検討している。肺腺癌の摘出術を受けた症例で、診断された前の喀痰が保存してあった22例を検討した(Table 3)。22例中11例の腫瘍にK-ras codon 12の突然変異を認め、このうち5例は喀痰から抽出したDNAにも腫瘍と同じ突然変異を認めた。喀痰中にK-rasの突然変異が認められてから臨床的に診断がつくまでの期間は最長が4年で、4ヶ月が1例、2ヶ月が1例であった15)。
これらの結果は喀痰の遺伝子異常の検討は肺癌の早期診断に応用できることを示す。しかし、これらの研究は喀痰中の遺伝子異常を検出しているため、肺癌が4年前に存在していたのか、あるいははじめは遺伝子異常をともなうAAHが存在し、あとで肺癌になったのか推定することはできない。
気管支肺胞洗浄液中のDNAを用いた遺伝子診断も検討されている。Ahrendtらは手術により摘出され診断された非小細胞癌症例の、術前の気管支肺胞洗浄液の遺伝子異常を検討した(Table 4)。p53の突然変異、K-ras突然変異、microsatellite alteration、p16のメチル化を調べると、約半数の症例で、癌組織のDNAの遺伝子異常と同じ遺伝子異常を気管支肺胞洗浄液に認めた16)。この論文は、肺癌の術前の気管支鏡による生検や細胞診に加え、気管支肺胞洗浄液の遺伝子異常の検索も、肺癌そのもの、あるいは前癌病変の存在を証明する方法として臨床的に応用できる可能性を示す。

おわりに

以上の遺伝子異常の検索方法はいずれも結果を出すまでに時間がかかり、短時間に多数の検体、遺伝子異常を検索することが不可能である。しかし、近年のマイクロアレイテクノロジーの開発により、1検体につき同時に多くの遺伝子の検査を行うことが可能になった。近い将来、この技術が臨床検体に応用され、遺伝子診断が飛躍的に進歩することが期待される。
肺癌の治療成績は、胃癌などに比べてきわめて不良である。肺癌の予後が不良である原因の多くは、肺癌の早期発見が難しく、発見されたときには既にリンパ節転移や遠隔転移があり、有効な治療を受けることができないことにあると考えられる。肺癌による死亡率を減少させるためには、厳重な禁煙が重要であるが、蛍光内視鏡や分子生物学的な手法を用いて早期に肺癌を発見し、治療をおこなうことにより、肺癌の予後が改善することが期待される。また、蛍光内視鏡を用いて、前癌病変を発見し、肺癌への進行の予防をすることも重要であると考える。

引用文献

1) 厚生省大臣官房統計情報部編, 平成10年人口動態統計, 上巻, p286-9, 財団法人厚生統計協会, 東京, 1998
2) 山口豊編, 肺癌外科診療最前線. 外科療法の成績, p209-30, 金原出版, 東京, 1996
3) Kohno H, Hiroshima K, Toyozaki T, et al. p53 mutation and allelic loss of chromosome 3p, 9p of preneoplastic lesions in patients with nonsmall cell lung carcinoma. Cancer 1999; 85: 341-347
4) Franklin WA, Gazdar AF, Haney J, et al. Widely dispersed p53 mutation in respiratory epithelium. A novel mechanism for field carcinogenesis. J Clin Invest 1997; 100: 2133-7
5) Mao L, Lee JS, Kurie JM, et al. Clonal genetic alterations in the lungs of current and former smokers. J Natl Cancer Inst 1997; 89: 857-62
6) Wistuba II, Lam S, Behrens C, et al. Molecular damage in the bronchial epithelium of current and former smokers. J Natl Cancer Inst 1997; 89: 1366-1373
7) Belinsky SA, Nukula KJ, Palmisano WA, et al. Aberrant methylation of p16INK4a is an early event in lung cancer and a potential biomarker for early diagnosis. Proc Natl Accad Sci USA 1998; 95: 11891-6
8) Shibuya K, Fujisawa T, Hoshino H, et al. Increased telomerase activity and elevated hTERT mRNA expression during multistage carcinogenesis of squamous cell carcinoma of the lung. Cancer 2001; 92: 849-55
9) Travis WD, Colby TV, Corrin B et al. Histological Typing of Lung and Pleural Tumours, World Health Organization International Histological Classification of Tumours, third edition, p29, Spring-Verlag, Berlin, 1999
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11) Westra WH, Baas IO, Hruban RH, et al. K-ras oncogene activation in atypical alveolar hyperplasias of the human lung. Cancer Res 1996; 56: 2224-8
12) Cooper CA, Carby FA, Bubb VJ, et al. The pattern of K-ras mutation in pulmonary adenocarcinoma defines a new pathway of tumour development in the human lung. J Pathol 1997; 181: 401-4
13) Niho S, Yokose T, Suzuki K, et al. Monoclonality of atypical adenomatous hyperplasia of the lung. Am J Pathol 1999; 154: 249-54
14) Mao L, Hruban RH, Boyle JO, et al. Detection of oncogene mutations in sputum precedes diagnosis of lung cancer. Cancer Res 54:1634-1637,1994
15) Somers VA, Pietersen AM, Theunissen PH, et al. Detection of K-ras point mutations in sputum from patients with adenocarcinoma of the lung by point-EXACCT. J Clin Oncol 1998; 16: 3061-8
16) Ahrendt SA, Chow JT, Xu LH, et al. Molecular detection of tumor cells in bronchoalveolar lavage fluid from patients with early stage lung cancer. J Natl Cancer Inst 91: 332-339,1999



(気管支学 2001;23(8):679-84より)