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2017年4月〜2019年11月 UCSD Moores Cancer Center留学
平成19年卒の五島悠介(ごとうゆうすけ)と申します。
自分の留学経験について執筆させていただきたいと思います。
私は2007年(平成19年)に千葉大学を卒業後、都内で初期臨床研修を修了、2009年に千葉大学泌尿器科に入局致しました。
当時はとにかく手術に興味があり、自分の手で患者さんを治すという外科の魅力に惹かれ、同時に内科的な治療も担当する泌尿器科を選択しました。
1年間千葉大学附属病院で勤務ののち、関連病院の横浜労災病院で2年間、船橋市立医療センターで1年間、手術を含めた臨床を、しっかりと教えて頂きました。
泌尿器癌症例の豊富な両病院で感じた事、それは、「治せる患者さんは手術・ホルモン療法などで治せる。治せない患者さんは、(多少の予後延長は期待できても)何をやっても治せない」という、臨床医にとっては常識とも言えることでした。
手術、抗がん剤治療、セカンドライン抗がん剤治療、サードライン…副作用治療に耐えてもらいながらも、為す術なく、癌で亡くなっていく患者さんたちを目の当たりにして、自分の癌への無知、そして新たな可能性を秘めている基礎研究の重要性を実感しました。
千葉大学大学院での研究を希望し、医師7年目の2013年より、泌尿器癌研究を開始しました。
前立腺癌は、95%以上の症例で男性ホルモン除去によるホルモン療法が有効ですが、いずれ抵抗性を獲得し、去勢抵抗性前立腺癌(CRPC)となります。
ベストポスター受賞
2016年米国泌尿器科学会にて
CRPCの病態解明と新規治療法探索をテーマとして、研究を開始しました。
先輩方のご指導、優秀な同期、後輩達の助けもあり、幸い、2016年3月の大学院修了時には千葉大学学長賞、医学薬学府研究院長賞を頂くことができました。
さらに、2016年5月に米国サンディエゴで開催された米国泌尿器科学会総会ではベストポスター賞を頂きました。
今から考えると、その時からサンディエゴとの縁はあったのかもしれません。
UCSD Moores Cancer Center
毎日こんな青空です。
大学院卒業後は一度臨床に戻り、腹腔鏡手術の傍ら、癌への理解をさらに深めたい、そしてより治療に結びつくような研究をしたいという思い、さらに米国での生活という以前から漠然と描いていた夢を叶えるべく、留学先を探し始めました。
日本で大学院生時代に所属していたラボの先輩から、UCSD(カリフォルニア大学サンディエゴ校)のMoores Cancer CenterでProf. J. Silvio Gutkindがポスドクを探しているとのことで、応募することにしました。
Prof. Gutkindは癌におけるGPCR(Gタンパク共役型受容体)研究ならびにシグナル伝達研究で世界的に有名な先生です。
シルビオと筆者。
Nature, Cell, Scienceを大量にpublishしており、前職のNIH(アメリカ国立衛生研究所)では30代という史上最年少でブランチの長となった、いわゆる超大物です。
緊張して会いに行きましたが、大変気さくな先生で、初対面から、自分のことをシルビオと呼んでくれと言われ、さらに、“君のように癌研究への熱意がある研究者をサポートするのが自分の仕事だから”、と快く私の留学を受け入れてくれました。
条件としては、可能であれば生活費をグラントとして取ってくるように、とのことでした。
幸い、日本学術振興会の海外特別研究員に採択され、アメリカ留学の夢は叶うことになりました。
ラボにはいろんな人がいましたが、
みんな優しく、楽しく、
本当にいい人ばかりでした。
さて、留学後のハッピーライフを夢見て渡米したわけですが、もちろん楽しいことばかりではありませんでした。
留学後待っていたのは、英会話教室で習ったきれいな英語ではなく、中国語訛り、イタリア語訛り、スペイン語訛り、フランス語訛りなど、世界中から人々が集まるラボならではの、訛った英語の聞き取りに四苦八苦しながら、M.D.上がりの研究者が到底太刀打ちできないレベルの研究に、何とか食らいついていく日々でした。
ラボに行けば相手の言っていることが理解できず、その原因が、自分の英語力の無さなのか研究能力の無さなのかもわからず、家に帰れば、現地校のプレスクール(日本でいう保育園)に通う3歳の長男は英語が全く分からず、毎日泣いて帰ってきて、妻は0歳の長女の子育てに疲れ果て…。
そんな日々を乗り越え、1年たったあたりから、英語に慣れ、研究内容も理解できるようになり、シルビオともdiscussionが可能になり、さらに長男も英語を覚え、公私ともに楽しいことが増え始めました。
Yellowstone National Parkへ
絶景でした。
私が留学した2017年は、免疫チェックポイント阻害剤が臨床で本格的に使われ始めた時期でしたが、残念ながらその詳細なメカニズム、特に他薬剤との相互作用は不明で、兎に角、分子標的薬や別の免疫チェックポイント阻害剤と組み合わせたり、順番を変えたりといった臨床試験が大量に行われていました。
基礎研究のデータが無いままに、ヒトへの臨床試験が(やみくもに)組まれるということが起こっており、この状況を打開すべく、シルビオは、免疫が正常に機能する(syngeneicな)マウスモデルを独自に作成し、それを用いて、免疫チェックポイント阻害剤と分子標的薬を組み合わせた新規治療を開発しようとしていました。
Monument Valleyへ
映画の舞台にもなった直線です。
シルビオは医者ではなく、Ph.D.ですが、臨床応用という目標を常に掲げており、基本的に臨床応用できない研究は行わないというスタンスの先生で、臨床的な知識も豊富でした。
隣の臨床系のラボとcollaborationを盛んに行い、基礎的知見から得た新規治療候補があれば、積極的に治験を行う環境が整っていました。
discussionの度に、新しい治療を夢見ながら研究をすること、時にnegativeな結果だらけであっても、常に前向きに物事を考えて行動することの大事さを教えてもらいました。
もちろん可能性は非常に低いのですが、「この実験が上手くいけば、データを基にここで臨床試験が組まれ、臨床で救えない大勢の患者さんを救えるかもしれない」と思い、興奮気味に日々、研究にのめり込みました。
Grand Canyon National Parkへ
これまた絶景でした。
仕事という感覚もなく、土日もラボに入り浸りました(と言いつつ、写真のように色々と遊びまわりましたが)。
おそらく9割以上が失敗の連続でしたが、失敗の原因を考え、試行錯誤の後に新たな結果が出た時の快感は忘れられません。
最近、シルビオラボから、やっとsyngeneicマウスモデルの論文がpublishとなり、このモデルを使った、分子標的薬とPD-1抗体のcombinationについての私の研究をまとめている段階です。
このcombinationによる頭頸部癌治療は、所属していたMoores Cancer Centerで、近日中に治験が始まることになっており、とても楽しみにしております。
また、前立腺癌についてもPIがGPCR、シグナル伝達研究の大家であるという強みを生かし、GPCRであるムスカリン受容体を標的とした新規シグナルの解明、そしてその経路を遮断する新規治療について研究を行いました。
こちらもpublishされ、将来、CRPCの新規治療開発の一助となることを期待しております。
ラボメンバーと
Moores Cancer Centerの中庭で
集合写真
研修医、若手医師の皆さんは、手術、外来、病棟管理と忙しい日々を送っていると思います。
特に、臨床で治せない病気に直面した時、そこから逃げるのではなく、研究という新たな道を切り開くことで、未来の患者さんを治せる可能性があることを、是非知っておいていただきたいと思います。
もちろん、研究は、臨床のようなダイナミックさに欠け、収益に直結しにくく、一つ一つの研究が、医学に貢献できることは限られているのは事実です。
しかし、今の臨床のベースにあるのは先人たちの地道な研究の成果であり、我々臨床医は、それら成果を使うのみではなく、発展させる義務があると思います。
千葉大学は幸い国立大学であり、研究環境に恵まれています。
きっかけはどんなことでも良いので、一度研究という世界を覗いてみるのも良いと思います。
さらに、日本という小さな国にとどまらず、世界を見て来るのも良いと思います。
平成16年 千葉大学卒業
平成28年3月 カナダ、VancouverのBC Cancer Agency Genome Sciences Centreより帰国
平成28年3月末、カナダより帰国し千葉大学医学部附属病院にて勤務させていただいております今村有佑です。
平成25年4月から平成28年3月までカナダのブリティッシュコロンビア州バンクーバーにありますBC Cancer Agency, Genome Sciences CentreのMarianne D. Sadar教授 のもと、Postdoctoral fellowとして約3年間留学させていただきました。
バンクーバーは北米西海岸アメリカとカナダの国境近くフレーザー川の河口に位置し、海と山に囲まれた美しい景色に恵まれた場所です。
一方でダウンタウンには高層ビルが立ち並び、カナダ国内第3位の都市圏を形成し、とても都会の印象を受けます。
秋、冬は日照時間も短く、雨が多いどんよりとした天気が続きますが、西は太平洋、東はロッキー山脈に囲まれ西岸海洋性気候で温暖であり、雪もほとんど降りません。
また、春から夏の時期は湿度が低く、心地よい暑さで晴天が続き、21時過ぎても明るく素晴らしく過ごしやすい気候なので、多くの人が積極的に外出する姿が見られます。
人種は様々ですが、以前の移民政策により多くの中国人が移民し、人口の約1/3がアジア人と言われるほど中国人が増加しています。
バンクーバーは非常に治安が良く、夜中にダウンタウンで女性一人が歩いていても問題ないくらいなのですが、時折麻薬中毒者もおり、街を歩いているとマリファナの匂いを感じることもよくあります。
また、中国人富裕層がバンクーバー近郊の不動産などを買い漁り物価が高騰しており、住居賃貸料や日常生活品あらゆるものが高価で生活が困窮していくことが難点でしたが、なんとか家族一丸となって乗り切ってきました。
Genome Sciences Centreはダウンタウンに程近い、VGH (Vancouver General Hospital)の敷地内Cancer Research Centreというビルにあります。
同じビルには血液腫瘍の研究で有名なTerry Foxラボなどがあり、日本人の腫瘍内科医も数名留学しています。
また、すぐ近くには泌尿器科では有名なVancouver Prostate Centreがあり、世界中から泌尿器科医が集まり、日本人泌尿器科医も他大学から常時数人留学中で、休日にはイベントを行ったり家族ぐるみで交流を深めることができました。
私の所属していたSadar Labでは、前立腺癌に対する新規抗アンドロゲン剤を開発し(EPI-506)、現在カナダとアメリカで第T相、第U相臨床試験が始まっております。
その新規薬剤は、AR(Androgen Receptor)のN末端に直接結合しARの活性を阻害するため、去勢抵抗性前立腺癌(Castration-Resistant Prostate Cancer; CRPC)で問題となっているAR-Vs (Splice variants)にも効果があり、非常に期待されている薬剤です。
同じ研究室のメンバーは、その薬剤とAR(Androgen Receptor)に関連する基礎研究を主に行っておりました。
私の主な研究テーマは、その新規薬剤に放射性同位元素を合成し、「体内のAR-Vsの発現、局在を可視化するイメージングへの応用」というものでした。
それらの合成化合物に対し特許を取得したりと、カナダでの研究生活は新しく学ぶことだけでなく、日本でやっていた同じ実験すらうまくいかないことも多々あり辛いこともありましたが、ラボのメンバーがとても親切で、わからないこともよく教えてくれるので、とても感謝しながらスムーズにできました。
カナダは移民を受け入れていた経緯から、「母国語が英語でない人々が理解できるまで根気よくコミュニケーションをとらなければならない」といった理念を就業時に教わります。
多くの人々にそういった考え方が浸透していることを、日常生活を送っていても随所に感じられ、非常に人々が親切で過ごしやすいと思います。
同じ北米でもカナダとアメリカの違いのひとつなのではないかと感じました。
また、カナダの保険制度はMSP(Medical Service Plan)という健康保険があり、それに企業などで追加加入するBlue Crossという保険を合わせると、歯科診療もカバーされ自己負担額は基本的にほぼゼロなのでとても安心でした。
私自身は健康を自負しておりますが、バンクーバーで第二子を出産し、妻子が病院に入院する機会がありました。
出産は病気ではありませんが、妊娠中や子供の予防接種などClinicや病院を何回も受診したり、カナダの医療事情を患者側で少しでも垣間見ることができたのは貴重な経験でした。
留学期間というのは、日本という国、日本人そして日本の医療事情を外部から客観的に評価することのできる貴重な機会でもあると思います。
どの国も一長一短あるかと思いますが、総じて日本は素晴らしい国だと改めて思い直しています。
最後に、留学の機会を与えてくださいました市川教授をはじめ、同門の諸先生方、またご助力いただきました皆様に、深く御礼を申し上げます。
この留学を通して経験できたことが千葉大学泌尿器科、また同門の諸先生方のお役にたてればと思っています。
BC Cancer Research Centre屋上から。ダウンタウン、山々が一望できるいい場所です。
Dr. Marianne D. Sadarと。
第二子(娘)の誕生記念にラボメンバーでパーティをして頂きました。とてもいい思い出です。
Vancouver Prostate Centreのポスドク達とサッカーをしたり交流を深めることができました。
2時間ドライブすれば、バンクーバーオリンピックの舞台となったWhistlerで
スキーが楽しめる贅沢な環境。
カナダ北部のイエローナイフへオーロラを見に行ってきました。
AUAだけでなく、ASCOにも演題が通り、発表する機会をいただきました。
基礎研究(Translational Research)のテーマとしては稀ですし、何より泌尿器科医として、とても貴重な経験となりました。
平成11年 千葉大学卒業
平成21年7月 アメリカのケンタッキー大学より帰国
平成21年7月、アメリカより帰国し大学病院にて勤務させていただいております坂本信一です。
このたび、留学の機会を与えていただきまして、同門会の諸先生方に心から感謝を申し上げます。
ケンタッキー大学の留学状況については以前一度ご報告させていただきましたので、今回は、1)帰国直前に泌尿器科のレジデントと伴に病院で過ごした2週間の報告、2)アメリカの泌尿器科基礎研究の世界、の2点を報告させていただきたいと思います。
ケンタッキー大学は、レキシントンという20万人くらいの人口の町の中心にある大学で、アメリカの中では中規模の大学です。
大学は主にバスケットボール一色で、今年は、年間の給料契約5億円を払って有名なコーチをリクルートしていました。
それでも広告収入、寄付、観客動員によりプラスとなるのですから、どれだけ大学のバスケットボールがケンタッキー州に与える影響が大きいかわかるかと思われます。
まず、泌尿器のレジデントはケンタッキー州で二人だけです。
以前も書きましたが、泌尿器のApplicationを出す人は、年間400人ほどで、最終的にレジデントのマッチングでPositionをもらえる人は250人弱。
つまり150人弱、3人〜2人に1人は、アメリカの医学部卒業生でもマッチできない狭き門です。
ちなみに今年のケンタッキー大学のレジデントの医師国家試験Step1のScoreは、二人とも99%(最高点数!)でした。
レジデントは、朝6時半から回診にまわります。
レジデントの期間は泌尿器科の場合は5年間、1年生は日本同様Pre-opeといって手術申込書など下仕事に追われて夜中まで働くことが多々あります。
1-2年生は、小児泌尿器専門病院、VA Hospitalといって退役軍人用の病院で、臨床の勉強に励みます。
2年生からは、徐々に開腹およびラパロの手術、ダビンチの手術を学んでいきます。
5年生のSeniorレジデントに聞いてみると、ラパロの前立腺全摘は50例以上施行したと言っていました。
また、ダビンチは20例以上行なったとの話でした。
5年目以降は、大きくわけて二つの道にわかれます。
大学のようなAcademic Positionにいくか、あるいはPrivate Clinicといって私立の病院に就職するか、です。
大学に勤務する場合、給料面では低くなります。
レジデントを終了した泌尿器の平均年収は、およそ3000万から4000万円。
大学では、給料は多少低くなると思われますが、Private Clinicの場合、訴訟保険が年間1000万円近くかかるので、全面的にサポートされる大学との差はある程度埋まるようです。
大学にいる医師の殆どは何らかの形で研究を行ないます。
それは、自分自身でなく、大学院生や助手を雇用して行なう場合がほとんどです。
大きなグラントをとれば、それだけ、ほかの大学のDirectorなど大きなチャンスと収入が保障されます。
逆に大学側は、多額のグラントをもっている医師を一人でも多くリクルートしようとしています。
なぜなら、たとえば一億円のグラントがある場合、大学へは年間30 %の契約なら3000万円の収入が自動的に入るからです。
また、その研究を看板に優秀な研究者やレジデントをさらに募集できます。
ですので、教授であれ、Directorであれ、メジャーリーグの野球選手のように、給与やポジションを含めたより良い条件がそろえば、他の大学に移動することは珍しくないようです。
逆に、放出する側も恨むことなく、むしろ、「いい条件がみつかって、おめでとう。」といった具合で快く送り出すことが多いようです。
ですので、一般の医師も、大学卒業→レジデント→Fellow→Facultyと所属大学が異なることは、稀ではありません。
そのように大学間の移動を自由にすることにより、雇用される側も、する側も、お互いに選択の幅が広がる環境が整っているような印象を受けます。
ケンタッキー大学では、Chairmanが一人(インディアナパウチを考案したDr. Roland)、とほかに3人の教授がいます。
私の留学先の、市川教授のご友人のKyprianou教授(基礎の教授)、間質性膀胱炎でも有名なDr.Erickson(女性泌尿器の教授)、ダビンチとラパロで有名なDr. Strup(手術部門の教授)という構成です。
そして、それ以外にフェローというレジデント終了後の先生が二人、Associate Prof. という准教授が一人です。
朝と夕回診は、レジデントの1年生から5年生だけで周り、他科紹介や、救急なども基本的にはレジデントですべてをこなすのが一般的です。
よほどのことがない限りStuffクラスが呼ばれることはないようです。
レジデントは比較的年功序列が厳しく、下が入院中の管理の仕事の殆どを行なうようでした。
手術室は、Strykerという機器のスタッフが各部屋に二人くらいいて、Ope室の機械の接続、出し入れ、モニターセッティングなどを、ラパロからダビンチに至るまで担当しています。
もちろんOpeマネなどという医師の仕事は存在しません。
麻酔は、麻酔科医が行なうだけでなく、研修をうけた看護婦が担当する場合も多くあります。
手術が終わると、医者は録音機を手に手術記載を録音(Dictation)します。
後に専門の書記が文書に記録を残します。
術後は、ラパロでもダビンチでも、前立腺癌は、翌日か2日後退院。腎臓の部分切除、腎摘も同様です。
皮膚切開部はほぼ全て埋没縫合して、消毒抜糸の手間を省いているようでした。
ケンタッキー大学では、ダビンチとラパロの比率は、半分半分でした。
外来は、医師の数は、各日ほぼ一人か二人程度です。
他に、Physical Assitantという前立腺生検までできる看護師と、Nurse Practitioner(NP)とよばれる泌尿器外来のトレーニングをうけた看護婦(医師と比較して85%の報酬ですが、独立して泌尿器科として開業可能)のふたりが医師以外に一般的な外来を請け負います。
医者は主に特殊な症例や手術予定の患者などを診ていました。
このNurse達が新患から他科回しまで出来るのが驚きでした。
外来でも、紹介状などの文書は医師がDictationで録音して済ませます。
再診予約は、予約専用のStuffが、医者のScheduleと照らし合わせて決めています。
外来時間は、8時半から5時までですが、患者一人当たり最低15分以上かけるので、患者数は、一日(朝と夕)で多くても20〜30人程度でした。
Fellow以上のStuffは、外来当番や、Opeがない日は、研究をしたり、レジデントを教えたりしますが、4時頃の小学校などのお迎えにいっているようでしたので、その前には仕事が終わることがほとんどのようでした。
大学病院において泌尿器科には、当直はなく、当番制でOn Callとなります。
別の科においては、内科などの先生が、当直勤務した場合は、翌日の午後12時以降は法律上働けないので、それまでには帰宅することになります。
On Callの場合は、逆に規制がなく、たとえ一晩中仕事をおこなっても翌日はFullで働くようです。
50例以上ラパロをこなしたという5年生のレジデントに、ダビンチとラパロどちらを好むかきいたところ、『初心者にとっては、ダビンチとラパロでは大きな違いがあるようだが(ダビンチの方がやりやすい)、慣れてくると、あえてダビンチを使うメリットは感じない。』とう意見が印象的でした。
アメリカの病院全体のシステムとして、とにかくComedicalのスタッフの数が日本と比較にならないぐらい多いのが印象的でした。
給料の高い医者の数をできるだけ減らして、給料の比較的低いComedicalを増やすことによって、医者に最も病院の収入源となる手術や外来などを含めた医療を効率よく行い、病院の利益を増やすための工夫をしているような印象をうけました。
今回留学するなかで、研究のシステムに関しても理解を深めたように思いますので簡単に説明させていただきます。
アメリカで泌尿器の研究を行なう上で鍵となる学会は、AUA(American Urology Association)とSBUR(Society for Basic Urology Research)です。
皆さんもご存知の通り、AUA;アメリカ泌尿器科学会は、年に一度4月から5月の時期に行われ、臨床から基礎までカバーする、アメリカで最も大きな泌尿器科学会です。
Journal of Urologyは、この学会から出している医学誌です。
近年の傾向として、ラパロ、ダビンチなどの手術のビデオセッションが増えたように思います。
また、基礎の分野も多く発表があり、特に前立腺癌でAbstractを通すのは、アメリカからでも決して簡単ではありません。
ケンタッキーのラボからも、Cancer Researchに通ったAbstractですらRejectされてしまうこともあります。
SBURは、基礎専門の泌尿器科学会ですが、学会の中心メンバーはほとんどAUAの顧問もかねています。
PhDだけでなく、多くの研究に関わるMDの先生方も参加されます。
主催者には、Johns Hopkins出身者が多くいるようです。
秋に行われる学会がメインで、春は一日だけAUAの前日に行われます。
SBURには、島崎先生のボスだったDonald Coffey先生や、市川教授のボスだったJohn Isaacs先生、赤倉先生、植田先生などが留学されたバンクーバーのMartin Gleaves先生、ARで有名なRochesterのChawnshang Chang先生など、泌尿器をリードする研究者が殆どそろっています。
アメリカは、“自由平等の国”とイメージがありますが、むしろ、人と人とのネットワークが非常に重要なように思います。
おそらく個人個人の多様性がありすぎるので、信頼できる人からの評判が一番安全なのかもしれません。
顧問の先生方同士は、学会以外でも、NIHのグラントのReviewerとしても会いますし、さらには、お互いに大学に招待しあって講演することなどで、交流を深めているようです。
一度、招待講演に教授等がこられると、講演までの間、1時間から30分おきに、多くの関係する分野の教授たちとの面会のスケジュールが組まれるので、非常に忙しそうな印象をうけました。
そして、昼は、私たちのような、ポスドクや大学院生などの若い先生方と一緒に食べて、それぞれの研究テーマに対するアドバイスなどを行います。
つまり、お互いにネットワークを広げる機会を増やそうと工夫しているようでした。
近年、AUAではJUA(日本泌尿器科学会)とのJoint Programが増えていますし、今本先生がUCSFで研修されたように、AUAとJUAの交流が深まっているように思います。
これからは、日本の医療という概念に縛られることなく人材や知識を含めた国際交流がより盛んになる時代なのかもしれません。
この留学で得た経験を千葉大の為に活かし、今後、留学される若い先生方のお役にも立てたら幸いです。
これまで留学の間、支えて下さった多くの同門の諸先生方に心から感謝を申し上げたいと思います。
AUA MD PhD Scholarshipの修了式にて
島崎名誉教授の留学先のボスだったCoffy教授(中)とNatasha教授(左)
AUAでBest Presentaion Awardをいただいた時、Natasha教授と
AUAにて、ホワイトソックスvsイチローがいるマリナーズ戦を観戦したとき
(左から藤村先生、深沢先生、自分、赤倉先生)
平成11年 千葉大学卒業
現在米国カルフォルニア州UCLAへ留学中
はじめに、今回このような留学の機会を与えていただいた市川教授ならびに泌尿器科医局の皆様に、また、留学生活についていろいろとアドバイスをいただいております巣山先生に、この場をおかりして感謝させていただきたいと思います。
大変ありがとうございます。
私は現在、米国カリフォルニア州Los AngelesにあるUCLAの研究室にPostdocとして所属しております。
研究室はDavid Geffen School of Medicine at UCLA , Department of Medicine-Digestive Diseaseの中にありますので泌尿器科学教室ではありませんが、ここでは大腸癌や脳腫瘍などのさまざまな癌に対する遺伝子治療の研究がなされております。
このなかで私は前立腺癌に対する遺伝子治療について研究していくことになっております。
とはいってもまだまだ来たばかりですし、何といっても日本で基礎研究をほとんど行ったことがない私ですので今のところ研究については何もご報告できません。
現在の生活について少しご報告させていただきます。
LAでは雨がほとんど降らないため毎日青空で紫外線は強烈です。
こちらに来て歩いているだけで日に焼けました。
しかし日陰に入ると風は涼しく、朝晩は肌寒いくらいです。
街を歩いている人々は何をするにも自由に楽しんでいて国民性の違いを思い知らされます。
こちらに来てまずしなければならないのは家と車を探すことでした。
英語がわからない最初が一番大変だと聞いておりましたが、こちらにいらっしゃる日本人の先生方に大変良くしていただきどちらもスムーズに進みました。
非常にありがたく思っております。
UCLAのキャンパスに近くて安全な地域は日本でいう1LDKの家賃が1600ドルからということで千葉に比べるとびっくりするくらい高い値段でした。
こちらでの収入の半分以上が家賃に消えていくのかとがっかりしておりましたが、幸運にもUCLAが学生用に運営しているアパートに入居できるようになりました。
家賃もこちらのほうがお徳です。
しかし入居できるのが6月15日ということで、それまでの約1ヶ月間はホテル暮らしで3件のホテルをわたり歩いているところです。
きれいなホテルから映画に出てくるような汚いモーテルなどにも宿泊し、食事は毎日外食で落ち着くことができませんが、UCLAの近くの閑静なところやSanta Monicaビーチ沿いなどいろいろな場所に暮らせると思って楽しんでいます。
このようなホテル暮らしの中でニューヨークからいらしている2人の方と知り合いになりました。
一緒に食事に出かけたり、私と妻の英語の先生になっていただいたりしてたくさんの話をしていただきました。
カリフォルニアに来る前は日本に滞在していたそうです。
世界中を旅していたそうですが、その中でも日本は本当にすばらしい国だと言っていただきました。
日本人の考え方や生活習慣だけでなく医療についてもたくさんの知識をお持ちでした。
日本の入院期間の長さにびっくりしていました。
再度、日本やカリフォルニア州を訪問されるご予定ということで次回お会いするまでに英語をもっと話せるようになっていることを約束してお別れしました。
ホテル暮らしは大変ですがこのような貴重な体験もできて良かったと思っています。
現在のところ生活のセットアップは順調です。
LAには日本食レストランが多いのでうどんやラーメンなども食べられますが味はイマイチです。
日系スーパーで納豆なども全てそろいますので妻の料理に期待しております。
今後は早く研究についてのご報告ができるようにしたいと思っております。
写真はホテルでお会いしたお二人とです。
平成12年 千葉大学卒業
現在アメリカのジョンズホプキンス大学へ留学中
こんにちは。平成12年千葉大学医学部卒の巣山貴仁と申します。
2008年7月よりアメリカメリーランド州ボルチモアのジョンズホプキンス大学Dr. Getzenberg Labに留学しております。
ボルチモアはアメリカ東海岸、ワシントンDCの北東(車で1時間)、ニューヨークの南西(車で3時間)に位置し、アメリカでも最も古い港町のひとつです。
インナーハーバーは観光名所としても栄え高層ビルが立ち並びますが、少し離れると、美しく荘厳なヨーロッパ風の建造物が散在し、異国の雰囲気をたっぷりと味わうことができます。
大学はインナーハーバーから車で少し行ったところにあります。
Urologyの建物は細かい意匠の印象的なドーム型のレンガ造りの建物で、病棟と研究室が同じ建物に入っています。
B1,1,4階が研究室で、2,3階が病棟です。
前立腺癌の治療・研究では世界で最も有名な病院・研究室の1つに数えられています。
庭には春は桜が咲き、夏は手入れの行き届いた木々の緑がさわやかです。
夏の気温は千葉よりも高いのですが、湿度が低く、心地よい暑さですので、実験が一段落した時や、文献を読むのに疲れた時などは、気分転換に積極的に外に散歩に出ています。
ランチを外で取っている人も多く見かけますが、人種は様々であり自由でアカデミックな雰囲気です。
アメリカでの研究生活は、来るまではやはりすごく不安でした。
学会以外で海外へ出たことは1回しかありませんでしたし、英語に関してもまったく自信がありませんでした。
多くの人に助けていただき、無事に1年間が瞬く間に過ぎてしましましたが、沢山の良い人間関係に恵まれて、事故もなく充実した時間を過ごすことができております。
研究室では、皆さんがとても親切に、暖かく迎えてくださり、本当に有り難く感謝の気持ちでいっぱいです。
研究生活自体も、臨床の手伝いをしながら過ごした日本での生活と比べると余裕があります。
当然ですが当直もなく、自分の自由になる時間がずいぶんと増えました。
仕事とプライベートのバランスも取りやすく、とても素晴らしい労働環境であると思います。
近々こちらの研究室のホームページが立ち上がる予定とのことですので、興味のある方は是非のぞいてみてください。
さて、研究室以外の日常生活では、アメリカの人々の、仕事や対人関係に関する考え方と自分のそれとの違いに驚いています。
人種のるつぼとは多民族国家アメリカを象徴する言葉として有名ですが、現代では「混ぜても決して溶け合うことはない」という理由から、るつぼに代わって「サラダボウル(salad bowl)」が用いられることが多くなったそうです。
その言葉の通り実に様々な人々が思い思いに生活しています。
皆がそれぞれ自分のペースで生活しており、日本人のように他者の視線を意識しながら生活するということは少ないように思えます。
いずれにしても、自分と価値観の違う人が大部分である環境で暮らす、というのはとても興味深いことです。
また、留学中は日本を外部から客観的に観察し、評価することのできる貴重な機会でもあると感じています。
アメリカは個を尊重し、日本は個と個の間、つながりを大事にする国民性である、とは言い古された表現ではありますが、的を射た表現であると実感し日々過ごしております。
最後になりましたが、このような素晴らしい留学の機会を与えてくださいました市川教授をはじめ、同門の先生方、またご助力くださった皆様に、深くお礼を申し上げます。
背景に見えるのは研究室などが入っており、ドームと呼ばれる建物です。
そのジョンズホプキンスを象徴する建物を背景に撮りました。日差しは強いですが、さわやかな日でした。
駐車場の屋上から。遠くに見えるのが、ボルチモアの中心部インナーハーバーのビル群です。
街にある教会。街にはいたるところに、教会や聖堂があります。古い歴史ある街ならではの風景と思います。
こちらは、現在住んでいるアパートメントの敷地内。秋の紅葉は見事です。自然の多い良い環境で、敷地は広く、約1000世帯が生活しているといわれています。リスが多く、ときどきシカやウサギも見かけます。夏はホタルが飛び風情があります。
日本から留学している泌尿器科の先生方、その家族の皆さんとアパート内のレクリエーション施設でバーベキューをしました。他大学の先生方と知り合いになれたこともとても大きな財産です。
千葉医学雑誌 2008年2月 84巻1号に掲載されました。
千葉大学の泌尿器科より、2006年の5月より、ケンタッキー州立大学の泌尿器科に留学させていただいております、坂本 信一と申します。
このたび、千葉医学会雑誌に寄稿できることを光栄に思います。
この内容が、これから留学される先生方、或いは、病院で臨床されている先生方に、何か参考になれば幸いと存じます。
寄稿に当たりました、今回、主に3つのことについて記載したいと思います。
初めは、皆さん恐らくなじみのあまりないKentucky州について、次に、ケンタッキー大学の研究について、最後に、簡単にアメリカの医療について触れさせていただきたく思います。
ケンタッキー州は、アメリカで15番目に登録された比較的古い州で、南北戦争の時は、北と南の境界に位置した場所でもあります。
地理的には、北は、オハイオ州と南は、テネシー州に挟まれております。
自分の滞在している町はレキシントンという州のなかでは北東部に位置する人口27万人ほどの都市です。
郊外には、平野に沿って、馬の牧場が広がり、日本で言うと、北海道の富良野と似た雰囲気かと思われます。
ケンタッキー州として一番に思いつくのが、恐らく、ケンタッキーフライドチキンとケンタッキーダービーかと思われます。
ケンタッキーフライドチキンの創始者のカーネルサンダースは、60歳を超えてから、レストランをたたんで、オリジナルのチキンのスパイスを全米に広げるために起業された方のようです。
ダービーに関しては、こちらでは、非常に高貴なスポーツで、世界中から、お金持ちの方が正装して観戦にきます。
アラブ人などは、自家用ジェットでやってきます。
今年の春のダービーには、イギリスのエリザベス皇后が来られました。
レキシントンの主要な道にすら、歴史的なダービー馬(Man O War)の名前がついているのには驚きます。
ちなみに、フサイチペガサスは、日本人が馬主で歴史上、唯一ケンタッキーダービーで優勝した馬でこちらでも今でも有名です。
そろそろ話を研究の方に移しますが、自分は、ケンタッキー大学に泌尿器科の市川教授の紹介で留学させていただいております。
研究室の教授は、以前John’s Hopkinsで市川教授と一緒に研究されておられた方です。
ラボでは、週に一度、Journal Clubと研究室会議がそれぞれあります。
研究室のメンバーは、ポスドクが自分含めて3人と大学院生が一人の合計四人です。気づいてみると、自分以外は、皆、中国人です。
それ以外、夏には、大学の医学部生が、数ヶ月、研究に参加します。
アメリカで泌尿器科は、入局が難しいこともあって、学生によっては、1年生のときから、すでに何らかの形で泌尿器科に関わるために、研究を行い、将来の入局へ向けて努力をしているようです。
ちなみに、医学部生は、USMLEという医学試験のStep 1を2年次、Step 2と面接試験を4年次までに受けます。
その点数により、マッチングといって、将来のレジデントの採用がきまるので、1年生から、かなり勉強しているようです。
日本との違いは、研修医の枠がきまっていて、特にMinorな科では、枠が少なく、競争がはげしい点かと思われます。
例えば、泌尿器科のレジデント枠は、ケンタッキー州で2人だけのようですが、その枠を求めて40人くらい面接に来るようです。
研究室に関しては、日本では、比較的大きなラボにいたので、初めは、今のラボで研究するにあたり、いろいろな違いに戸惑うこともありました。
恐らく、小さいラボは、研究者一人一人のウエイトが大きいので、その分、頻繁に実験を指導してもらえる点が利点かと思います。
逆に、限られた予算内で、効率よく行う必要もあるので、実験の失敗に対するプレッシャーもありますし、時には、予算により実験の手法を変える必要もあります。
しかし、自分のラボに機材がない場合は、容易に他のラボの施設をつかわせてもらえるので、その点、恵まれているかと思われます。
ケンタッキー大学のような比較的小さな大学のメリットを挙げるとすると、恐らく、招待された教授などと、直接話す機会が多いことかと思われます。
定期的に、著名な教授が講演に来ますが、お昼を数人のポスドクで囲んで一緒にピザ(無料)などを食べながら、研究に関わる話やそれ以外のことも、直接話す機会があたえられます。
その先生の中には、有名なJournalの編集委員(Cancer Research, JBCなど)の教授も多くいますので、そういった先生方に実験のコメントをいただくことは、非常にいい刺激にもなりますし、時には、将来的なコネクションを作る上でも役に立つかと思われます。
また、臨床と研究の壁も比較的低いので、実際に手術や、病棟など、臨床の現場を見せていただくことが容易にできる点が挙げられかと思われます。
日本とアメリカの研究の違いを一言で説明すると、恐らくグラント(科研費)に関わることだと思います。
アメリカでは、NIHからの、ROIという高額なグラント(億単位)をどの教授も目指します。
大きなラボは、複数個それを持っています。
恐らく研究の位置づけは、日本ではいい論文に投稿するために行う場合もありますが、恐らくアメリカでは、良いグラントをとるために研究するといっても過言ではないかと思います。
それが、直接、教授の給料にも結びつきます。
研究内容は、グラントに沿った内容、或いは、グラントに将来申請できる内容に重点が置かれます。
自分は、アメリカに来たばかりの頃、範囲をひろげすぎて注意されることもありました。
最後に、今、日本で医療の変革などが話題となっているようですので、アメリカの医療について、自分の知っている限りでありますが、説明させていただきたく思います。
アメリカ人では、基本的には保険に加入しますが、これは任意であり、お金がない人は、保険に入れません。
HMOという、大学が主体となっている保険プランでさえ、自分のように家族がある人は、月に350ドルくらいお金を払う必要があります。
大学からは、500ドルくらいサポートが出ているので、結局毎月10万円ほど保険機関に払っていることになります。
しかもこれは、比較的安い保険です。
自分がかかる医者を選びたい場合は、保険のPlanにより異なるので、さらに上の保険の加入が必要となります。
医療施設において、大きく異なる点を上げるとすると、恐らく、Clinicと病院の比率の違いかと思います。
レキシントンには、大学付属、Privateなどあわせて、非常に多くのClinicがありますが、総合病院は、数えるほどしかありません。
基本的には、患者は、Home Doctorといわれる総合診療科のようなClinicを受診しないと、病院にはかかれませんので、そのClinicから紹介で、初めて病院受診となります。
手術を受けた患者においても、基本的には、Clinic フォローとなることも多く、病院の外来受診が非常に制限されている点が、特徴かと思われます。
外来受診では、当病院では、一人最低15分かける原則なので、午前中にみる患者の数も、10人以内などと、日本とは比較できないような診察数です。
なぜこのような、少ない患者数でなりたつかというと、恐らく、一つは、保険のシステムにあるかと思われます。
健康な人も保険に加入して、高額な金額を大学付属のHMOに毎月納めているので、それが、結果として、定期的な病院の収入になっている点、あとは、診察にかかる基本的な保険点数が高く設定されている点が挙げられるかと思われます。
知人の話によると、保険点数の設定で、MRI が20万くらい、径腹超音波が3万円くらいとのことです。
手術をうける場合は、百万単位のお金が必要となりますし、がん患者の場合、治療薬なども保険により制限されるので、適応となる化学療法を受けたくても、保険にカバーされない場合などは、資産を売って高額な治療費を払う場合や、治療をあきらめる場合もなども出てくるようです。
レジデントは、基本的に朝5時ごろには病院にきて、朝6時の病棟回診の前には、状況を把握するようにしています。
採血は、助手のようなかたが、朝2時ごろとってくれているので、結果がそのころには出ています。
基本的に、回診はレジデント(1年から5年まで)だけで、まわり、スタッフクラスの病棟当番に報告する流れとなります。
ですから、レジデント以外の医者は、必要に応じて患者にあう程度となり、外来、手術などに専念しているようです。
レジデントが帰宅するのは、夕回診の終わって、仕事を終えた夜8時ごろです。
レジデントの期間は、泌尿器科の場合は、5年間で、その間の収入は、およそ500万円くらいに制限されている点も異なる点かと思われます。
その後は、比較的多くの収入を得るようです。
患者の入院期間は、非常に短く、泌尿器の腹腔鏡の前立腺全摘出術の場合は、基本的には、3日目には尿道バルーンをつけた状態で退院となりますし、腰椎麻酔の手術でも当日退院となることも珍しくありません。
アメリカの医療は、患者側からみると、日本と比較した場合、不便と思われる部分もあります。
以前、こどもが夜中に熱を出したときなど、ERに行っても、重症疾患が優先されることもあり、4時間ほどまったうえで、診察されると、『市販のタイレノールを飲め』で終わることもありました。
患者側からすると、医療は、高額なので、簡単にはかかれず、その分、ほとんどの薬が、薬局でかえるので、自分でまず、治療した上で、直らないなら、受診するといったスタンスをとっているように思えます。
日常生活においては、日本との大きな差を感じることが多々ありました。
家族で生活するにあたって、留学当初は、アメリカの文化の違いに戸惑うことが多く、ストレスを抱えることもありました。
しかし、逆に、親切な近所の方にも色々助けていただきました。
特に、ケンタッキーは、自然も豊かで、庭には、リスや、時にはウサギまでいます。
夏には、たくさんの蛍が飛んできますし、少しドライブすれば、馬の牧場が広がっています。
アメリカでの経験が、帰国後どのように役に立つのだろうかと考えながら日々を送っております。
最後に、この紙面をお借りし、ケンタッキーの留学を全面的に協力していただいた市川教授、および、千葉大学同門会の諸先生方に深く感謝申し上げます。
帰国後、この留学を通して経験できたことが何かのお役にたてれば幸いと思っております。