千葉大学 大学院医学研究院 和漢診療学講座

和漢診療学講座について

第三回 和田 正系先生

和田啓十郎 略歴

1872年(明治5)10月10日長野県埴科郡寺尾村大字牧島(現在は長野市松代町大字牧島)に父和田牧治、母りやの二男(第七子)として生まれる。7,8歳のころ、家族に難病患者が生じ、洋医の治療で治らず、「蓬頭弊衣の一漢方医により全治したことから、漢方医術の妙所を探求せんと決心した」(「和田啓十郎遺稿集」)
1891年長野県尋常中学校卒業。翌年長谷川泰の主催する東京医学専門学校済生学舎入学。この年、吉益東洞の「医事或問」を熟読し、古方医学に一身を捧げる決意を固める。同年10月漢方医多田民之助の食客となり師事する(1893年3月迄)。1894年医術開業試験前期試験及第。翌年同後期試験及第。1896年同後期実地試験及第。医術開業免状下附。同年下谷区仲御徒町にて開業する。1890年本所区横網町に移転。1891年小松せんと結婚。翌年東京都引き揚げ、郷里に近い更級郡稲里村に移転開業(~1904年春)。1900年(明治33)長男正系生まれる。翌年長女しのぶ誕生。1904年日露戦争の志願軍医となり出征。1906年軍医を退き赤坂区青山南町に内科医院を開業。1907年日本橋浜町に移転。1910年8月「医界之鉄椎」第一版を南江堂より自費出版する。1915年「医界之鉄椎」増補第二版を南江堂より出版。1916年(大正5)春ごろより多年の心労と肉体の疲労より体調を崩し、7月8日45歳にて逝去。法号和合院光誉明法啓道居士。墓所は長野市真島町にある善法寺。

医界之鉄椎…秦の始皇帝に鉄椎(鉄の槌)を投げつけて革命を起こそうとした張良の故事から名づけた