留学寄稿

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ドイツ留学:ボン大学

近藤祐介(不整脈研究)

私は、JHRS-EHRA fellowship(日本不整脈学会と欧州不整脈学会合同の留学助成)を頂き、2013年10月よりドイツのノルトライン・ウェストファーレン州ボン市のUniversitätsklinikum Bonn (UKB)に留学しており、現在13ケ月が経過しました。今回、留学記寄稿という貴重な機会を頂きましたので、ご紹介させていただきます。

UKBについて

同僚たちと昨年のクリスマーケットにて。中央がボスのシュワブ教授。

私の勤務するUKBは、1818年にプロイセン王国が設立したRheinsche-Friedrich-Wilhelms Universität Bonn(通称:University of Bonn)の付属病院の中で中心的な役割を果たしており、ドイツ国内で“最も豊かな州”であるノルトライン・ウェストファーレン州全体から患者さんが紹介されてきます。私がボンに来たころには、京都大学から外科に1人、筑波大学から脳外科に1人、広島大学から皮膚科に1人で計3名の日本人医師が働いており、生活のセットアップに多くのアドバイスを頂くことが出来て非常に心強かったです。外国人医師としては、EUの諸外国に加えてアラブ諸国出身の医師が多いです。病院内は、系統別に建物が分かれているため、他の科の医師に会うことはあまりありません。私は、ERがある救命センター(Notfall Zentrum)の横にある心臓センター(Herz Zentrum)で勤務しています。

ボン市は、古くから物流のルートとして用いられてきたライン川沿いに位置しており、旧西ドイツの首都でありましたが、現在は大学と政治の街として知られています。ドイツ唯一の国連都市として、19の国連機関が存在しており、日本人の国連職員が多く勤務しています。大学には日本語・韓国語学科があり、私も日本語科の特別講師を依頼されることもありますが、皆上手に日本語を話すので驚きました。筑波大学や早稲田大学と提携しているため、日本からは毎年30人以上の大学生が留学に来ています。

毎日の臨床業務について

ある日のアブレーション後に不整脈グループのメンバーとともに。

循環器内科は、5つのグループに分かれていて、不整脈の他に、カテーテル(虚血と弁膜症治療)、肺循環、画像、基礎研究のグループがあります。毎朝、8時から30分ほどの全体カンファレンスがあります。基本的にはスタッフ全員が参加し、新入院の症例と問題症例を病棟主治医がショートプレゼンテーションをして、検査と治療方針を決めます。その後、最新ジャーナルの文献を10分ほどでパワーポイントにまとめた発表があります。ここで、似たような研究をやります!という宣言がよくあります。すべてがドイツ語で行われるので、留学当初は、全然聞き取れなくてとても苦労しました。カンファレンス後、不整脈の治療が必要の新入院が入った場合は、グループで病棟に回診に行きます。病棟の主治医は、主に総合内科の研修が終了して、循環器内科全般を研修している先生方です。不定期で、昼と夕方に各グループから勉強会を病棟の先生達を対象に行っています。現在、科として最も力を入れているのは、カテーテルでの弁膜症治療です。大動脈弁、僧房弁、三尖弁の治療を行っており、毎月のように学会や研究会の手術のライブ中継を行っています。

不整脈グループは、デバイスの教授とアブレーションの教授、その他に私を入れて4人専門医(大学認定の“専門医”という役職があります)の計6人で治療を行っています。ここでは、論文至上主義で、論文をもっていないと治療には加われません。不整脈グループであれば、不整脈の論文がacceptされてはじめて、カテーテルを触ることが出来るのには、驚きました。ヨーロッパでは、日本やアメリカでは出来ない治療を数多く出来ます。右心室に電池とペーシングを兼ねたカプセルを植え込むリードレスペースメーカーや、左心房にカテーテルを留置した後に術者がカテーテル室の外からロボットを操縦して肺静脈隔離を行うロボット遠隔操作アブレーション、もう第4世代のデバイスになっていますが、未だに改良が必要な経カテーテル的左心耳閉鎖術などは、本当の意味で世界中に普及されるかはまだ分かりませんが、画期的な治療だと思います。

私は、アブレーション治療とICD外来と不整脈外来を主に行っています。手術室やカテーテル室では、医師同士は英語で会話できるのでまだ良いですが、外来では、本当に苦労が多いです。しかし、外来予約を取ったり、検査オーダーを入れたり、検査結果をカルテに記入したりは、コメディカルの方の仕事であり、基本的には医師は『医師にしかできない仕事』に専念できるシステムがあるのは素晴らしいと思います。また、かかりつけ医制度がしっかりと根付いているため、病診連携はかなり重要視されています。例えば、アブレーション後の新規抗凝固薬など専門性の高い薬剤は、原則として一般内科専門医ではなく循環器内科専門医でないと処方できないので、密な連携が必要となります。また、ドイツも日本同様に国民皆保険制度を用いていますが、保険の種類によって内容が異なります。
言語の壁とともに制度の違いにもようやく慣れてきたところです。

ドイツでの生活について

Mainz05で活躍中の岡崎選手と。

ドイツで医師活動許可をもらうのには、一定レベルのドイツ語の資格が必要となり、これが私にとっては非常にハードルが高かったです。最初の半年は、月曜日から金曜日まで毎日4時間ドイツ語の授業を受けていました。非常に辛かったですが、ここで多くの外国人医師や、国家公務員として働く日本人やドイツに移籍してきたサッカー選手など新しい出会いもあり、とても刺激的で新鮮でした。また、ドイツ語の授業ではドイツの歴史、特に第二次世界大戦の負の歴史についても、学ぶことができて非常に勉強になりました。当初、免許のためのドイツ語勉強だから“しばらくの我慢”と思っていましたが、ドイツでは思ったより英語が通用しません。大学生をはじめ若い人達は英語を話すことができますが、年配の方は離せない方も多いです。生きていくうえでかなりドイツ語が必要なのは、少し意外でした。暖房が故障したり、車が故障したり、洗濯機が故障したりはまだ良いほうで、財布を盗難に会ったり車の窓ガラスを割られたり、ピンチが訪れるたびにドイツ語の必要性を痛感します。また、24時間のコンビニエンスストアはなく、毎週日曜日は駅とガソリンスタンドを除いて、デパートを含め街中の店が営業していません。いかに日本の生活が豊かで便利であったかと再認識できました。しかし、ドイツの生活も悪いことばかりではないです。ビール、ワイン、コーヒーなど飲み物は非常に美味しく、地理的にもヨーロッパの中心にあるためアクセスが非常によいため、週末を使って色々な国に観光に行くことが出来るなど、楽しい面も多くあります。そして、何といってもこの国では『文化』になっているサッカーを堪能できます。本当にどこに行っても、みんなサッカーの話をするのが好きです。外来でもボンの近くでプレーしている、Kagawa, Okazaki, Osakoの3選手については良く聞かれます。そして、ワールドカップ中は、本当にみんな仕事したがらく、街中が熱狂的でした。この国でワールドカップ優勝を体験することができたのは、最高の思い出になりました。

日本人とドイツ人はよく似ていると言われますが、正直似ているとは思えません。日本人のほうが、はるかに真面目でよく働き、緻密で繊細、そして礼儀正しく謙虚であると思います。(ドイツ人は他のヨーロッパの国の人に比べると、真面目でよく働くのかもしれませんが、日本人とは比較になりません)一方で、ドイツの社会の方が環境に配慮し、子供やお年寄り、障害者に優しいと思います。いまでも、“Fukushima”は大丈夫なのか?なんで日本にはSONYなど素晴らしい技術を持っている会社が多いのに、どうして核を使うんだ?などということを本当に多くのドイツ人から聞かれます。医療においては日本とドイツの関係は深く、特に不整脈の領域では、田原淳先生がドイツに留学中に田原結節(房室結節)を発見したことが有名です。この業績にちなんだ研究会もあり、日本人の先生方が招待されて行われています。今回の留学においても、ドイツに留学されていた多くの先生方にアドバイスを頂くことができました。色々な先生方と繋がることが出来たのも、留学の貴重な財産となっています。

おわりに

循環器内科医として最新の知見を学ぶ機会を頂き、また、1人の日本人としても外から日本という国を見ることが出来、本当に良い人生経験をさせて頂いております。留学の準備段階、そして留学中にも公私ともに様々な相談アドバイスを頂いております小林欣夫教授、大学院の指導教官であった上田希彦先生、医局長の舘野馨先生、副医局長の岡田将先生、仕事を引き継いでもらった不整脈グループの先生方、そして支えてくださった多くの医局の先輩・同期・後輩、同門会の先生方にこの場をお借りして心から感謝申し上げます。