概要
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ご挨拶

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千葉大学大学院医学研究院薬理学
教授 安西 尚彦

 2016年1月より、前任の中谷晴昭教授の後任として、第6代教授を拝命しております、安西 尚彦(あんざいなおひこ)です。当教室は1924年に千葉医科大学薬物学教室として開設されたことに始まり、2024年で百周年を迎えます。

 千葉大学は古くから日本薬理学会に所属して活動しており、当教室の小林龍男第3代教授は昭和29年4月開催の第27回日本薬理学会年会を開催した他、脳研薬理(現疾患生命医学)の萩原彌四郎教授は昭和62年3月開催の第60回日本薬理学会年会を開催するなど、学会内においても高い評価を頂いております。

 私は平成2年に千葉大学を卒業後、平成7年から北里大学医学部生理学に赴任し、基礎医学の道に進みました。平成11年からは仏政府給費留学生として南仏コートダジュールのCNRS分子細胞薬理学研究に留学。平成13年に帰国後、杏林大学医学部薬理学教室での約10年間の勤務を経て、平成23年4月獨協医科大学に主任教授として赴任致しました。獨協医大にて約5年間を過ごした後、縁あって母校である千葉大学に薬理学教授として戻ることになりました。
 初勤務日となりました平成28年1月4日、久しぶりに亥鼻キャンパスに足を踏み入れたその日は2度目の入学式のような緊張感がありました。歴史のある医学部本館に足を踏み入れ、階段を上った3階の薬理学教授室では「千葉醫科大学」ラベルが貼られ、代々の教授が使われたという机が私を迎えてくれました。この時初めて自分が第6代教授として歴史を継ぐことを実感し、その伝統の重さを感じました。約20年の時を経て母校に戻った私はまさに「浦島太郎」でありますが、とはいえ母校を離れ、北里大、フランス、杏林大、そして獨協医大というアウェー環境の20年間で得られた人の「つながり」が意外にも母校において生きていることを感じ、決して学生時代に優秀ではなかった自分がなぜ今この時点で母校に戻ったのか、その意味を考えるに、母校を離れ学外で活躍するゐのはなの同門の方々と学内の先生方との接点となるだけでなく、他大学をご卒業された後、様々な経緯を経て亥鼻にお越しになられた先生方と母校との接点となるなど、人と人を「つなぐ」役割を担うことかな、と感じております。今後ともよろしくお願い申し上げます。