教室紹介

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教室概要

臓器制御外科学教室科訓

臓器制御外科学教室科訓

獅胆鷹目行以女手

「獅胆(シタン)鷹目(ヨウモク)行(オコナ)ウニ女手(ジョシュ)ヲ以(モッ)テス」と読みます。三輪徳寛先生(元千葉医科大学学長、千葉医科大学外科学教室の初代教授 1859~1933)が外科医の処生訓として愛された言葉であります。「外科医は手術に際しては獅子のように強い意志と鷹の様な鋭い目を持ち、女性の手のようにしなやかに行うべし」と云う意味であります。出典は不明ですが、17世紀からヨーロッパで伝わっていたようで、それが江戸時代オランダ語で伝わり、シーボルトなどに教を受けた漢学者が和訳したものと云われています。
1997年のThe American Journal of Surgeryの「The Compleat Surgeon」という論文にJohn Hallが16世紀に著した言葉として同様の意味を持つ「A chirugien should have three diverse properties in his person. That is to say, a heart as the heart of a lion, his eyes like the eyes of an hawk, and his hands as the hands of a woman」が紹介されています。千葉医学専門学校時代の外科手術室の壁面に書かれていました。

教室の歩み

 千葉大学第一外科教室は第一高等中学校医学部外科部門教諭として東京帝国大学より三輪徳寛先生が赴任された明治21年(1889年)を始まりとし、以来百十余年の歴史を有します。その後、第2代高橋信美教授時代の大正15年第二外科教室が独立し、外科2教室制となり名実ともに第一外科教室として発足しました。第3代河合直次教授は当時不治の病とされていた結核の外科療法で教室の名声を高め、昭和37年の肺癌研究施設の独立へ繋がりました。ここに第一外科、第二外科、呼吸器外科すべて成立し、それぞれの独自の教室の歴史を刻み現在に至るわけであります。第一外科は肺外科が専門の河合教授の後、第4代綿貫重雄教授時代には消化器外科に内分泌外科、心臓血管外科などが加わり、多岐にわたる領域の外科が発展し、第5代伊藤健次郎教諭時代には外科代謝栄養および血管外科も発展しました。第6代奥井勝二教授は教室とともに、第一外科関連病院施設の充実にご尽力されました。平成3年より第7代中島伸之教授が就任し、専門である血管外科領域に特に力を入れられその発展に努力されました。
 平成13 年4月1日より第8代宮崎 勝教授が就任され、専門の肝胆膵外科を中心とした消化器外科ならびに乳腺甲状腺外科および心臓血管外科の分野にも力を注がれようとして教室運営を開始されました。
 平成12年度より、千葉大学の大学院大学制への移行に伴い医学研究員としての大学の講座名称は新たに臓器制御外科学となりました。なお、平成16年度の附属病院における診療再編後は肝胆膵外科、心臓血管外科および乳腺甲状腺外科を担当しており、平成21年10月より肝胆膵外科と乳腺甲状腺外科を担当しております。

千葉大学第一外科学-臓器制御外科学の系譜