平成17年6月24日
司法解剖の解剖結果に関して、情報開示がされていないことが近年問題となってきている。特に、医療事故や交通事故で不起訴処分となった例や、捜査中とされるものに関して、司法解剖の結果が開示されず、民事訴訟において解剖結果が利用できないなどの問題が発生している。今後は、犯罪被害者等保護基本法の施行に伴い、被害者保護の観点から、さらに司法解剖の情報非開示の問題が表面化していく可能性がある。
司法解剖の情報開示に関しては、ガイドラインなどがなく、各法医学教室の対応がまちまちであることも悩みの種である。2割程度の法医学教室は、遺族や弁護人に対して鑑定書まで開示するというが、多くの法医学教室では、開示していないのが実情である。情報を開示しない根拠は、刑事訴訟法第47条あるいは196条にある。これら法によれば、訴訟に関する書類の公判開廷前の開示は原則禁じられ、また、鑑定人等捜査に関係のある者は、不用意な情報開示等により、捜査を妨げないように要請されているのだ。我々鑑定人は、直接捜査を行う立場にないので、自分の関与した事例に関して、鑑定書等の開示が捜査の妨げになるのか否かを判断できない。また、それを判断したくても、判断するための情報を集めるだけの人員と時間が欠乏している。従って、開示しない方が無難なのである。しかしながら、本来、法医解剖の目的は、社会の安全、福祉、公衆衛生改善のための、解剖情報の社会への還元である。捜査の結果、犯罪性がないとされた場合は特に、解剖の結果は、社会に還元されるべきであり、それができないとなれば、それは、法医解剖が本来目的とするものではない。このように、現在の司法解剖のシステムは、情報開示に関して法医学にジレンマをもたらしている。
当教室においても、司法解剖の結果に関しては、遺族または代理人から、鑑定書の開示を求められてもお断りすることにしている。裁判所から文書送付嘱託がなされたとしても同様である。なぜなら、これらの場合、開示の判断が鑑定人個人に任されているので、開示が犯罪捜査を妨げたと鑑定人の責任を問われる可能性が残されてしまうからである。従って、当教室としては、遺族、代理人、裁判所などによる、任意の開示請求には応じないこととしている。個々の症例の開示・非開示に関しては、捜査・司法サイドが責任ある決定すべきであるし、また、鑑定人が主体となって開示する場合、その制度化が必要であると考えている。
そのような中、平成17年6月14日、東京地方裁判所が画期的な決定をしたので、ここで紹介したい。当教室で、医療事故に関する司法解剖を行ったが、その件に関して、遺族の代理人である弁護士から、裁判所に対して、「文書提出命令」の申立てがなされ、鑑定人に対して鑑定書の写し等の提出を要請した。それを受けて、東京地方裁判所は、鑑定人に対して審尋手続きを行い、当該文書の所持の有無と、提出に応じる意思の有無、文書提出命令に対しての意見の問い合わせを行った。当教室としては、当該文書を所持している旨を返答した上で、「文書提出命令は、被害者保護の観点や本来の法医解剖の目的から考えると、妥当なことであり、裁判所が提出命令を出すのであれば、断る理由はない」旨回答した。さらに、「民事訴訟法第220条4号ホの規定に関しては、鑑定書がこれに該当するか否か判断できないので、その点もできれば明確にして欲しい」旨の意見も記した。そうした所、東京地方裁判所は以下の理由を付して文書提出命令の決定を行った(平成17年(モ)第4747号 文書提出命令申立事件)。
「民事訴訟法220条4号ホがこのような刑事事件関係書類を文書提出命令の対象から除外した趣旨は、刑事事件関係書類が民事事件において裁判所に提出され、当事者がこれを直接閲覧謄写することが可能になると、罪証隠減のおそれ、プライバシー侵害のおそれ及び捜査の秘密を害するおそれがあることにあると考えられる。しかしながら、本件文書は、捜査機関の嘱託を受けて鑑定を行った医師が鑑定書とは別個に学問研究の資料にも用いるために作成し所有している控え文書であって、刑事訴訟関係法令によって作成が義務づけられているものではなく、捜査機関に提出すべきものでもないから、その性質上、刑事事件関係書類に該当しないというべきである。また、仮にそうでないとしても、本件の申立人は本件文書内容の対象者の相続人であるから、プライバシー侵害の程度も皆無に等しく、さらに、当該刑事事件において被疑者の特定ができていない場合はともかく、本件において被疑者と想定される者は自ずから明らかであって、しかも当該刑事事件における捜査及び公判手続は、被害者の死亡時の客観的状況を前提として被疑者に過失があるか否かやその過失行為と結果との間に相当因果関係があるか否かを究明することになるところ、本件文書は被害者の死亡時の客観的状況についての医学的知見に基づく情報が記載されているにすぎないから、これを現時点で被害者である原告らはもとより、被疑者の属する病院を経営する被告の知り得る状態に置いても罪証隠減のおそれが生ずるとは考えられないし、捜査上の秘密保持の要請に反するともいえない。したがって、本件文書は、「刑事事件に係る訴訟に関する書類」に当たらないというべきである。」
この決定に対して、当教室としては特に抗告する理由もないため、鑑定書の写しと解剖時に撮影した写真を裁判所に提出したものである。
この東京地方裁判所の文書提出命令の決定は、開示の判断を鑑定人個人の意思に任せたのではなく、裁判所が、根拠を示しつつ開示を決定した点で意義深いものと考えられる。我々法医学者としても、本来の法医解剖の存在意義から考えて、歓迎すべきことであると思われた。今後、このような決定が周知され、司法解剖の情報公開に関する議論が深まり、司法解剖の結果の開示が制度化されていくことを祈るばかりである。
尚、個々の件に関して、その開示が捜査の妨げになるか否かを、我々鑑定人が判断することには問題がある現状に変わりがないので、当教室としては、今後も、文書提出命令以外による情報開示の請求には応じない方針である。
参考)
民事訴訟法第220条(文書提出義務)
次に掲げる場合には、文書の所持者は、その提出を拒むことができない。
1.当事者が訴訟において引用した文書を自ら所持するとき。
2.挙証者が文書の所持者に対しその引渡し又は閲覧を求めることができるとき。
3.文書が挙証者の利益のために作成され、又は挙証者と文書の所持者との間の法律関係について作成されたとき。
4.前3号に掲げる場合のほか、文書が次に掲げるもののいずれにも該当しないとき。
ホ 刑事事件に係る訴訟に関する書類若しくは少年の保護事件の記録又はこれらの事件において押収されている文書
刑事訴訟法第47条
訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、公益上の必要その他の事由があつて、相当と認められる場合は、この限りでない。
刑事訴訟法第196条
検察官、検察事務官及び司法警察職員並びに弁護人その他職務上捜査に関係のある者は、被疑者その他の者の名誉を害しないように注意し、且つ、捜査の妨げとならないように注意しなければならない。
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