留学体験記

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ボストン留学:ボストン大学

清水 逸平 (基礎研究)

このたびはボストンに留学する機会をいただきましたことを、南野徹先生、小林欣夫先生に心より御礼申し上げます。また、私の担当していた診療業務を現在担当していただいている同期、後輩の方々に深く感謝いたします。

はじめに

早いものでボストンでの生活が始まり6カ月ほど経過しましたが、診療業務がない以外ほぼ全く日本と変わらない生活リズム、研究スタイルのためか、海外で生活している実感はまだあまりないようです。ボストン市を一言で表現すると、アメリカ合衆国の心のふるさと、という感じになるでしょうか。さまざまな面で、位置づけとしては京都に通ずるものを感じます。毎年全米から大勢の方が観光で訪れるようです。歴史に裏付けられたヨーロッパ風の街並みをはじめ、学問、芸術等文化レベルの高さを色々な面で実感し、さまざまな研究分野で活躍する研究者からも多くのインスピレーションを得ることができます。以前私が幼少期に住んでいた英国に雰囲気が非常に似ているので、初めて訪れる街であったものの、久しぶりに故郷に帰ってきたような不思議な感覚も覚えています。

研究室について

ラボメンバーと、2012年夏

さて研究の方ですが、ボストン大学Medical CampusにあるKen Walsh先生の研究室に所属しています。私は大学院生時代から今日まで、心不全や肥満における心臓老化、脂肪老化の研究に携わってきました。Walsh先生のラボも脂肪の炎症や、心不全や代謝の研究をされているので、コンセプト的にも大変スムーズに入ってゆく事が出来ました。「3年前からこのマウスを飼っているけど、担当者が、全く表現系がないと言っている。ちょっと君の目から見てくれないか」という意外な展開から研究が始まりました。今までのデータを見直したところ確かに全体的にしぶかったのですが、ヘマトキシリン染色のスライドをみた直後に驚くべき表現系を発見したので、大興奮したのは昨日のように覚えています。褐色脂肪細胞の切片だったので、私は初めて見る臓器でしたが、対照群と比較して遺伝子改変群で明らかな表現系を示していました。早速Pub Med等で自分が証明したい仮説を以前報告した文献がないか探し、報告がないのを確認後に前進することにしました。とはいうものの、完全にアウェイなので、実験試薬を購入するところからはじまり、物品がどこにあるかも全くわからず、機器と部屋のオリエンテーションもわからず最初の1~2ヶ月はちょっとした苦難の連続でした。色々な制約があり、大量のオリエンテーションを受けないとまともに実験をできない状況が1カ月続き忍耐の日々でもありました。マウス飼育室に一人で入るのに1カ月かかり、共焦点顕微鏡の部屋に一人で入るのに6カ月かかりました。一つ一つ権利を獲得してゆくという時に気の遠くなる作業を鈍感力で乗り切り今日に至っています。
ラボのメンバーだけをみても、米国人、日本人、中国人、ギリシャ人、スペイン人、カメルーン人と多国籍で、他のラボも入れると超多国籍なので、特に高価な実験機器を守る為にどうしてもregulationで縛るしかない現実があるのだろうと思います。各部屋の入口に自分のカード式のIDを認識するsecurityがあるのですが、マウス飼育室に一人で入れた日は、まさしく大学受験、医師国家試験に合格した喜びに匹敵する位、歓喜の瞬間でした。現在は環境にも慣れ、必要な機器、物品もそろい思う存分実験に没頭できる体制を構築できています。3か月目にこちらの研究御進捗状況を報告するミーティングがあったのですが、約二ヵ月間で得た莫大なデータ量のプレゼンをしたところ、発表終了後に全員から大きな拍手をいただきようやく自分の居場所を見出すこともできました。研究だけに週80-100時間費やすことができるのは現在の私にとって最高の環境です。頼んだ試薬が数日で届き、マウス飼育室も研究室の2階上のフロアにあり、Core facilityという高価な実験機器の設置してある部屋も5分以内にほぼすべてアクセスできる点が本当に素晴らしいと思います。
ラボはBoston University Medical Campusという、ボストン市の中でも治安が悪いエリアにあり、あまり夜遅くまで研究できないこと、通勤に片道1時間弱とられるのが痛いですが、その点をさし引いても非常に恵まれた環境で研究を行うことができていると実感しています。治安の悪さは、私はまだそれほど怖い目にはあっていませんが、話を聞くと日本ではなかなかおこり得ないことがたまに起きるようです。これから留学される方はくれぐれもラボのメンバーに周囲の治安状態をご確認されるようお勧めいたします。私も特にラボ周辺は深夜や人通りが少ない休日の夜はあまり攻めないようにしています。

生活について

以前はボストンへは経由便しかありませんでしたが、成田とボストンを直行便で結ぶJAL787が、私が留学する2週間前に就航し、以前を知る方々によると飛躍的に日本からのアクセスがよくなったようです。ボストンに向かうフライトも非常に快適でした。私が住んでいるアパートはボストンの郊外にあるブルックラインという町にあります。郊外といっても、比較的中心地から少し頑張れば20分位で歩ける距離にあり、歩ける街、という点がまたボストンの魅力でもあるのかと思います。ブルックラインは緑の多い閑静な住宅地といった雰囲気で、治安も非常によくこのエリアは深夜歩いても危ない目にあう事はそれほど多くないようです。日本の研究者も多く住んでいらして、私のアパートの80世帯中20世帯位が日本から留学および転勤中の研究者、ビジネスマンのようで、非常に安心感があります。知り合いも多く住んでいるため時には、ここは学生寮か、と錯覚する時すらあります。近くにはスーパーが複数あり、日本のそばや醤油、米等少々日本食も手に入る点が大変ありがたいです。私は小学校5年生から中学校3年生までオーストラリアに住んでいましたが、その当時はようやくNHKがケーブルテレビで見られるようになり、確か国際電話は1分間100円以上して随分日本が遠く感じていました。当時海外在住の小学生の憧れであった少年ジャンプは確か1冊1000円以上して、10回位読み返していた記憶があります。また日本食らしきものは東京マート、というスーパーにしかなく、日本の風を求めてよく買い物に行った記憶があります。それから20年近く経ち、ボストンで生活をはじめてみるとインターネットの力をまざまざと感じます。Skypeを使えば国際電話とほぼ同じクオリティーでいわゆるテレビ電話ができ、日本のニュースもネットでいつでもチェックする事ができ、Facebookをたまに見れば日本や海外に住む友人達の今日を知る事ができ、ほんとうに便利な世の中だなと実感します。この点があまり海外で生活している感覚を薄めている一因かもしれません。

文化について

こちらに来て時々大変驚く経験をすることがあります。「アメリカに来たなー」、と痛感する異文化に先日触れる機会がありました。10月に同僚のカメルーン人の結婚式に参列したのですが、驚いたことに昼2時から始まると案内状に記載されている結婚式に、定刻に全く人がいない上に、教会の入り口に鍵がかかっていました。徐々に人が集まり、1時間遅れで新郎新婦がようやく入場して式が始まったのですが、20分位で終わると思っていた式が結局その後3時間続きました。その間神父さんが、シンセサイザーを弾きながら大粒の汗をかき、踊りながら教会の歌を熱唱し、参列者も最前列から2番目の列の人が皆マイクを持ち、プロジェクターに投影される歌詞を見て大声で歌い続けていたのには、まさしく度肝を抜かれました。その間に入れ替わり、立ち替わりさまざまなひとが説法を大声で唱え、3時間が終了した頃には完全にこちらも方針状態になりました。その後二次会の案内があったのですが、「二次会会場が教会から50km離れた場所にあります」とのことでしたので、参加は不可能と思い、ふらふらになりながらかろうじて帰宅したのがこちらにきて一番驚いた経験でしょうか。50kmは感覚的に近いのでしょうか。ラボのアメリカ人に尋ねたらあまり一般的な形式ではなく、私も驚いたと言っていましたが。

おわりに

細かい問題点には多々ぶつかりますが、留学をする機会をいただき本当によかったと思います。これから留学される方々は、是非留学中も「勝負」をしていただければと思います。私のプロジェクトは褐色脂肪細胞に関するプロジェクトで、競争が非常に激しい領域ですので、最後まで貫けるかわかりませんが、結果がどうであれ日々悔いのないよう今後も最大限の努力をしてゆきたいと思います。最後になりますが、日頃より私を支えていただいている茂又眞祐先生をはじめ医局のOBの先生方、医局の方々、研究室の実験助手の皆様に心より感謝いたします。拙い文章ではありますが留学の経過報告とさせていただきます。