留学寄稿

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アメリカ東海岸留学:EHMC

市本英二(IVUSラボ)

平成27年11月よりアメリカのニュージャージー州にあるEnglewood Hospital and Medical Center(EHMC)にClinical Research Fellowとして留学しています。今回、留学記寄稿という貴重な機会を頂きましたので、御紹介させて頂きます。

海外留学まで

私が医学部を卒業したのは平成16年3月であり、必修化のスーパーローテート研修が始まった最初の年でした。その頃はそれぞれの科の勉強をするのに精一杯であり、英語も苦手であったため、海外留学に関して全く頭にありませんでした。学生の時から循環器内科に進もうと決めていましたが、2年目に千葉大の循環器内科で研修し、冠動脈造影(CAG)もさせて頂き、虚血性心疾患に興味を持つようになりました。

平成20年4月より千葉大の冠動脈疾患治療部で本格的に経皮的冠動脈インターベンション(PCI)を学び、同期の久保健一郎先生や宮山友明先生、および同僚の先生方と仕事をするのがとても楽しく、あっという間に時間が過ぎていきました。初めてアメリカの学会であるACCに参加し、少し海外を意識するようになりました。しかし、論文を読んだりするよりもPCIの手技を覚えたり学会のPCIライブを見る方が興味深く、もっとPCIが上手くなりたいと常に思っていました。その後、一緒にACCに行った北原秀喜先生がStanford Universityに留学され、海外留学に対する漠然とした憧れを持っていました。

平成24年3月に大学院を卒業した後に千葉市立海浜病院に勤務し、臨床に没頭し、慢性完全閉塞(CTO)などの複雑なPCIも多く経験させて頂きました。ただ、海外留学して今の自分を変えたいという気持ちが強くなっていきました。そんな時、EHMCに留学されていた門平忠之先生が勤務先を異動されることとなり、急遽、後任として留学することが決まりました。

それからビザ取得などの留学の準備を始めましたが全然実感はなく、いつの間にか出国日になってしまいました。直前まで送別会があったため、前日から徹夜で荷物の準備を始め、何とか飛行機に乗り込みました。まだその時は旅行感覚だった気がします。こうしてアメリカでの留学生活が始まりました。

EHMCについて

前置きが長くなってしまいましたが、私が勤務しているEHMCは、1890年に設立された352床の急性期総合病院です。カテ室4室とハイブリッドオペ室があり、循環器内科はPCIが年間800例、経カテーテル的大動脈弁置換術(なぜかアメリカではTAVR、日本やヨーロッパではTAVIと呼ばれる)が年間100例、その他に不整脈に対するアブレーションやデバイスの治療が行われています。私が所属しているのは小林欣夫教授のイタリア留学時の同僚であったDe Gregorio先生が率いるInvasive Cardiologyであり、主にPCIとTAVRを専門としています。日本よりも承認が早い生体吸収性スキャホールド(BVS)や補助循環(Impella)も幅広く使用されており、日本でも早く使えるといいなと思いながら使い方を学んでいます。ただし、ガイドワイヤーの技術やイメージングデバイスの活用はやはり日本の方が優れていると思います。また驚いたのが、病院が入院患者の送迎を行っており、当日の朝に入院し、PCIでは当日午後、TAVRでも早ければ2日後には退院していきます。

以前に同門の中山崇先生、門平忠之先生が留学されていたため、引き継いだデータも活用しながら、Research Fellowの仕事として主にPCI中の血管内超音波(IVUS)画像の評価、臨床研究や症例報告をしています。De Gregorio先生は温厚で明るく、カテ室でもコメディカルのスタッフと常に和やかな雰囲気で仕事が進められています。また、PCI中に合併症があっても落ち着いて対処します。さらに、非常に教育的であり、カテ後にはPCIの手技やIVUSの読影を丁寧に説明し教えてくれます。複雑なPCIが成功した時には治療のストラテジーを熱く語ってくれるため、「It’s great」と言って返しています。また、イタリア留学時の小林欣夫先生との昔話もときに話してくれ、「Yoshio was a hard worker」と口癖のように言っています。

日常生活について

ニュージャージー州というとあまりピンとこない方も多いと思いますが、ハドソン川を挟んでニューヨーク州の隣に位置しており、橋を越えればマンハッタンに程近い距離にあります。少し離れたところでもワシントンDCやフィラデルフィア、ボストンまで頑張れば車で行けるため、日本ではどちらかというとインドア派でしたが、こちらに来てから休日には積極的に外出しています。秋には当日思いついてカナダのモントリオールまで車で観光に行ってきました。ただし、冬は非常に寒く、雪が積もります。
自宅は非常に治安が良い場所にあるため、家族にとっても安心であり、夏は20時頃まで外で遊んでいました。物価は意外と高く、家賃も少し高めです。近所には日本からの研究留学や日系企業の駐在の方も多く、家族ぐるみでお世話になっています。また、どの公園にもバスケットコートがあり、夫婦ともにバスケ部出身としては早速ボールを買って夕方や休日にはりきって練習しています。アメリカではやはりスポーツが盛んで話題となることも多く、メジャーリーグのイチロー選手やUSオープンでの錦織選手の試合を実際に見ては勝手に自分も頑張ろうと励みにしていました。私もイチロー選手のおかげか職場では「ichi」と呼ばれています。

最初の生活のセットアップや事務的な手続きに関しては、周囲の人々の手助けもあって比較的スムーズにできました。ただし、初日の病院の書類でLast nameとFirst nameを間違えてIDの名前が全て反対になり、修正するのに大変だった記憶があります。
英語に関しては大して上達していませんが、聞き取れた単語と表情から話の内容を推測する能力だけは上がった気がします。たまに内容が間違っていることもありますが、あまり気にしないようにしています。また、子供たちが言葉のあまり通じない中でも学校や公園で友達と一緒に楽しく遊んでいるのを見ると、言葉よりも何かを伝えたい気持ちが大事なのかなと思います。

おわりに

留学しなければ出来なかったこと、出会えなかった人々を考えると、非常に多くの貴重な経験をさせて頂いています。楽しいことだけではなく、辛いことや悩むことも多々ありますが、一度しかない人生において、とてもかけがえのない体験だと思います。それは家族にとっても同じであり、子供たちの成長と適応能力に日々感心しています。自分を見つめ直す時間、家族との貴重な時間も過ごすことができ、日本では新しいことや変化することから逃げていた自分も少しはポジティブになれたかなと思います。

最後に留学という機会を与えて頂きました循環器内科教授の小林欣夫先生、冠動脈疾患治療部の藤本善英先生、医局長の中山崇先生、および医局や同門会の先生方やスタッフの方々、千葉市立海浜病院の先生方やスタッフの方々に深く感謝申し上げます。また、留学前から留学中も日常生活や仕事に関して、多大な御支援を頂きました門平忠之先生にこの場をお借りして深くお礼申し上げます。