留学だより

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川﨑 剛

留学先 University of Illinois at Chicago

2003年(平成15年)卒の川﨑剛と申します。 私は、2015年3月に千葉大学大学院を修了後、2016年4月から2018年3月まで2年間、米国イリノイ州にあるUniversity of Illinois at Chicago(UIC)の研究室(Principal Investigator: Steven M. Dudek, M.D., Professor and Chief, Division of Pulmonary, Critical Care, Sleep and Allergy)へ研究留学する機会を頂きました。 本稿に、お世話になったすべての方々へ感謝を込めて、活動報告をさせて頂きます。 また、今後留学を考えている先生方へ、一つの経験談として参考になれば幸いです。

研究留学に向けて

「海外研究留学をしてよかったか」と聞かれれば、無事に帰国できたいま、「よかった」と答えます。 なぜなら、自分の人生を豊かにしてくれた貴重な期間であり、またその好影響がこれからもきっと続くと思うからです。 

私が研究留学を意識し始めたのは、大学院在籍4年目のころからです。 それまでは留学は自分とは無関係のことのように感じており、そのための準備は全くしていませんでした。 しかし、大学院卒業後の過ごし方を考えるにあたり、自分や家族の将来、所属先や社会への貢献など、色々と考え、家族と何度も話し合った結果、一度の人生なので、海外研究留学に向けて活動してみることにしました。

海外留学の意志を公表したのは、大学院卒業後の2015年4月でした。 同月の日本呼吸器学会総会で、American Thoracic Society(ATS)の関係者の方々にあいさつする機会があり、海外留学先候補の紹介をお願いしたことが、大きな第一歩だったと振り返ります(写真1)。 そして、巽浩一郎教授にも許可を頂き、留学候補先へのアプローチを開始しました。 その後、巽教授はじめ多くの方のご支援のもと、その翌5月のATSにて、後に留学中の上司となるSteve M. Dudek, M.D.(Dr. Dudek)と面会することができました(写真2)。 そこで、自分が研究室メンバーの一員として、共にARDSの研究を発展させたい意志や、研究アイデアを伝えるなどして、留学の受け入れを許可して頂きました。 あの時の気持ちの高ぶりは、いまでも忘れられません。 

次に留学の実現のために解決すべき問題は、留学資金の準備でした。 そのため、海外留学助成の獲得を目指し、巽先生、寺田先生、Dr. Dudekらのご協力のもと、申請書作成と応募を繰り返しました。 助成なしでの留学の実現は正直厳しいと感じていたため、先行きのみえない不安定な時期をしばらく過ごしたことをよく記憶しています。 そうした中で、2015年11月にMSD生命科学財団より留学助成の対象者であるとの連絡を頂き、2016年4月からの留学が決定しました。

留学開始後の異文化に触れながらの生活は、とても刺激的でした。 ただ、言いたいことがうまく言えなかったり、相手の言っていることがよくわからなかったりする言葉の壁、新しい環境でのアイデンティティーの確立、経済的な厳しさなどから、家族全員がかつて経験したことのない不安やストレスの中で生活を続けてきたのも事実です。 ある意味、生き延びたといってもよいかもしれません。 特に渡米してまもなくは大変でした。 私には、当時小学校4年、2年、幼稚園年少になる3人の子供たちがいて、はじめのうちは、子供が学校に登校できなかったり、研究もうまく進められないこともとても多かったりと、途中帰国の可能性が何度も頭をよぎりました。 そのような中で、職場や自宅周辺の国籍を超えた友人からの励ましや優しさに支えられ、その時できることを大切に重ねていく覚悟を決め、日々を送っていきました。 結果的には、途中帰国を回避することができ、ゆっくりと状況は上向きになり、幸いその傾向は帰国する日まで続いてくれました。

研究室について

さて、私が研究留学でお世話になった施設と研究室(ラボ)をご紹介したいと思います。 
私が留学した施設は、University of Illinoi at Chicagoという米国中西部にあるイリノイ州シカゴにある州立大学です。 シカゴは、緯度が日本の函館と同じくらいで、五大湖のひとつであるミシガン湖の南西部に位置します。 真冬には最高気温が平均-10℃くらいであり、湖から吹き付ける風などの影響もあって、例年12月から3月頃までは外遊びが容易でないくらいの長く厳しい寒さとなります(写真3)。 一方、夏は湿度が低く、最高気温が30℃前後であり、千葉の夏と比較するととても快適でした。 私の所属先は、Division of Pulmonary, Critical Care, Sleep and Allergyであり、同じ所属先にはATS 2011 PresidentであるDr. Dean Schraufnagelと、ATS 2014 PresidentであるDr. Patricia W. Finnらが在籍しており、ATSの活動にも積極的な施設です。

写真3
University of Illinois at Chicago
12月通勤途中

私は大学院で、ARDSモデル動物を用いて肺血管内皮細胞の再生に着目した研究に従事し、以降も同じ研究テーマの発展を目指していました。 そして、海外留学先を選択する際に、その方向性にあう研究室を探しました。 紹介して頂いたDr. Dudekの研究室では、ARDSにおける肺血管内皮細胞の透過性メカニズムに着目した研究をしてきており、ARDSにおける肺血管内皮細胞という共通の研究対象へ、お互いに違う角度からアプローチしていました。 そのため、研究経験を共有できたら、研究テーマの発展において有意義になるのではないかと考え、Dr. Dudekの研究室への所属を希望しました。 

留学開始後は、研究室のメンバーとも次第に良好な関係が構築でき、いまでは自分にとって最適な研究室に所属させて頂いたと感じています。 ラボメンバーは、多国籍でアメリカ、中国、インド、ロシア、ギリシャ、ミャンマー、パキスタンなどの出身者から成り、日本出身は私一人でした(写真4)。 言葉の壁のストレスは、2年間ずっと続きましたが、研究に真摯に取り組み、周囲とコミュニケーションをとろうとする姿勢を続けました。 そうしているうちに、友人の輪が広がり、実験結果も少しずつ積み重ねられるようになり、次第に精神的に楽になっていきました。 同僚の中には、かつて私と同じようにポスドクで渡米した人も多く、「自分も最初は苦労が多かったし、君は英語も研究も順調だよ」とよく励ましてくれました。 何度、同僚の存在に支えられたか、わかりません。 研究面では、自分とラボメンバーとがお互いに研究手法を学びあう機会があり、また英語でのディスカッションも日常的に経験することができるなど、とても充実しました(写真5)。 研究室の中で、自分だけが身につけていた研究手法により、自分の存在価値は支えられ、大学院時代の経験に感謝したことが何度もありました。 留学期間中には、新規実験手技の習得、ラボへの実験プロトコール提供による貢献、ラボメンバーとの信頼関係の構築に加え、研究成果について複数回の学会発表、論文投稿など、自分が掲げていた留学の目標を、おおむね達成することができました。 帰国後も、信頼関係を軸に国際共同研究なども目指して、良好な関係を継続したいと考えています。

写真4
2018年3月送別会

写真5
ラボミーティング

留学を通して

こうして、私の2年間の研究留学期間は、家族の安全と有意義な海外研究生活の両立を目標に、自分と向き合いながらの日々でした。 それを通じて、困難の中でも前向きに努力することの大切さを、あらためて実感することができました。 そして、この経験が目の前の課題や問題に対して、より粘り強く取り組もうとする現在の心構えにつながっています。 また、学童期の子供3人を連れての海外生活は容易ではありませんでした。 しかし、家族皆で協力し合い、乗り越え、時には広大な米国を自家用車で縦横無尽に大旅行するなど、日本ではなかなか経験しえない日々を通じて、家族の絆がより強まったと思います。 そして、それぞれが新たな出会いにあふれ、様々なことを感じ、学ぶことができたこの2年間は、家族皆にとっても忘れがたい思い出であり、かけがえのない経験になったと思います(写真6)。 あらためて、自分にとって「海外研究留学」とは、単に新たな知識や研究技術を習得する機会ではなく、「自分の人生をさらに豊かにしてくれた貴重な期間」であったと言えます。

写真6
友人家族ら

最後に、このような貴重な経験をさせていただいたことに、巽教授をはじめとする千葉大学呼吸器内科の皆さま、ATS関係者の皆さま、Dr. Dudekら留学先施設の関係者、居住地域コミュニティの皆さま、そして、両親をはじめとする家族、米国生活を一緒に乗り越えてくれた妻、子供たちに深い感謝の意を表して、簡単ではありますが、留学報告とさせていただきます。 どうもありがとうございました。 また、海外研究留学を考えている先生方へ、何か力になれることがあれば、喜んで協力したいと思っていますので、気軽に声をかけてもらえればと思います。