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歴史

千葉大医学部の誕生は1887(明治20)年にさかのぼります。このとき、千葉県立第一高等中等学校医学部が創設され、その後、何度かの名称変更を経て、1923(大正12)年、千葉医学専門学校から千葉医科大学に昇格しました。そして、1928(昭和3)年、専門教室として法医学教室が置かれました。

第二次大戦後の1949(昭和24)年、千葉大学設置に伴い、千葉大学医学部となり、初代の法医学教授に加賀谷勇之介先生が就任。1960(昭和35)年の、宮内義之介教授(2代)、1971(昭和46)年の木村康教授〈3代〉と続きます。木村教授はマスコミにもよく登場し、「血痕鑑定」をいう本を著す一方、布川事件再審請求の際には意見書を提出し、冤罪を晴らす一助となりました。

1980(昭和55)年、千葉大附属病院新設に伴い、医学部が旧病院に移転。これが最近まで使用した医学部校舎で、1937(昭和12)年に建てられた歴史的建造物です。さらに、2021年4月、新設した校舎に移転しました。1991(平成3)年には木内政寛教授(4代)が就任。2001(平成13)年、大学院が大学院医学研究院に改組されるとともに、法医学教室も医学研究院の所属になって現在に至っています。

2003(平成15)年、東京大学の岩瀬博太郎助教授が千葉大学に赴任し、5代目の教授に就任しました。2004(平成16)年、CT車を借り法医学教室としては初のCTスキャンを実施し、外表だけに頼る検視の限界を訴え、話題を呼びました。同年、国立大学改革に伴い、国立大学は独立行政法人化し、国立大学法人となり、各国立大学で法医学への予算削減が進みます。その一方、2006(平成18)年、検査等の経費が警察庁から支弁されるようになりました。これに伴って、CTについては、同年中古のCT車を、さらに2009年には16列ヘリカルCTを購入し、また、薬毒物検査については、2009年にLC/MS/MS(液体クロマトグラフ・タンデム質量分析器)を導入するなど、機材の改善が進み、死因究明の実務に関してはほぼ国際標準と比肩するに至っています。

解剖数は、岩瀬教授赴任当時、年間150体前後で推移していたものが、2012(平成24)年度には362体と急増しています。教室員についても、2003(平成15)年度は8人(大学院生1人を含む)だったのが、2023(令和5)年度は36人(大学院生8人を含む)と4倍増になりました。医師19名、歯科医師2名、薬剤師1名、臨床検査技師7名という陣容は、大学法医学教室としてはわが国最大です。2014年には、大学院医学研究院附属「法医学教育研究センター」が設置され組織面でも充実を見ました。また、同年に岩瀬教授が東大教授を併任し、2017年には成田市に国際医療福祉大学医学部が新設され千葉大から矢島大介医師が教授になったことに伴い、3大学が協定を結び連携を強化しています。ただ、正規職員の少なさなど、改善すべき点も山積しています。