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Vol.16 停滞を続ける死因究明制度改革

死因究明等推進計画が閣議決定されてから早1年半以上が経過した。この間、残念ながら死因究明制度改善の動きはむしろ停滞し、改革の機運がさらに弱まったと言わざるを得ない。その内容と私の意見を述べてみたい。

(1)死因究明等推進計画の問題点

この「提言」のVol.10 で、死因究明推進計画に関する私の懸念を記したが、現実は心配した通りになってしまった。私も専門委員として計画案作成を議論した「死因究明等推進計画検討会」では、国に死因究明等推進のための司令塔をつくるとの結論を一応了承したものの、その結果は内閣府の中にほとんど権限のない「死因究明等施策推進室」が設置されたのみで、施策推進のパンフレットの作成以外、その活動ぶりも見えてこない。

検討会では、地方分権の時代であり、国の事務とはしがたいという各省庁の意見により、都道府県に死因究明等推進協議会(仮称)を設置し、そこで具体的な実施体制を議論することになったが、決定後1年半経った時点で、立ち上がったのはわずか5都県であり、私も東京の協議会に参加しているものの、総合的な改革の話にはなっていない。どこの自治体も財政難と言われる現在、国のリーダーシップなしには新たな進展が見られるはずもない。

時限立法のため一昨年9月に失効した「死因究明等推進法」の第六条は、「死因究明等の推進に関して、重点的に検討され、及び実施されるべき施策は、次に掲げるとおりとする。」とあり、その第一は「法医学に関する知見を活用して死因究明を行う専門的な機関の全国的な整備」となっていて、私たちがかねてから最も期待した部分ではあったが、多くの先進国にあるような「法医学研究所」をつくると言った議論にはまったく結びついていない。

そもそも推進法の第七条には、「政府は、死因究明等の推進に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、前条に定める死因究明等の推進に関する基本方針に即し、講ずべき必要な法制上又は財政上の措置その他の措置を定めた死因究明等推進計画を定めなければならない。」と規定されているのにもかかわらず、新たな法制上の措置もなければ、新規の予算措置もほとんどない。閣議決定された推進計画そのものが骨抜きにされたと言ってよい。

一方、自民・公明の国会議員の皆さんが、推進法の後継法である「死因究明等推進基本法」を一旦は提出したものの、国会の対立状況の余波を受けて、いまだ成立の見込みは立っていない。

 

(2)日本の現状は国際標準とかけ離れている

まず、わが国の特殊性を理解していただきたい。警察官が死体の初動調査にあたるのはヨーロッパ大陸とほぼ同じではある。約10年前は、専門の警察官が少なく、それも犯罪見逃しの一因になったことが指摘され、現在は約7割の死体の現場に訓練を受けた検視官が臨場している。ここからが日本独自の制度なのだが、その検視官が、犯罪死体、犯罪が疑われる死体、その他の死体との分類をし、解剖の要否を判断する。海外では、解剖の要否の判断を行うのは、法医学者であったり、警察から独立した法律家だったりして、一定の基準(例えば、突然死、不自然な死、外因死、死因が分からない死)にあてはまる死体は、法医学研究所といった専門的機関に送られるのが普通だ。そこで、2013年に施行された「死因・身元調査法」第六条では、「警察署長は、取扱死体について、第三項に規定する法人又は機関に所属する医師その他法医学に関する専門的な知識経験を有する者の意見を聴き、死因を明らかにするため特に必要があると認めるときは、解剖を実施することができる。」と、法医学者の意見を聴くように規定されたものの、現実には電話で「持っていってもいいか」の確認をするのみで終わっている。わが国は解剖の要否を一切警察官の判断に依っているのが実情だ。

そのため、犯罪の可能性がないと判断された死体は、新法施行後もほとんど解剖されない。警察は犯罪捜査を目的とする機関であり、やむを得ないとの意見もあるが、このことは2つの弊害を生んでいる。一つは、例えば御嶽山の噴火や軽井沢ツアーバス事故の被害者のように、先進諸国なら必ず解剖をする事例で解剖がなされないという点である。噴火による死因は、ほとんどが噴石による外傷であると報告されたが、有毒ガスや熱傷の可能性も否定できない。死因究明をしてこそ、同様の被害に対しその拡大の防止ができる。交通事故も同様だ。例えばシートベルトをしていればどれくらい被害を減少できたかなど、事故に遭った方々の検証は被害拡大防止に直結する。二番目は、犯罪の疑いがないとされた死体であっても、稀に犯罪である場合があると言う点だ。関西の青酸化合物による殺人事件をみると、見逃しの危険が浮き彫りになる。全死体に対する解剖率は、わが国は約1.6%、欧米では5%~20%という差が、こうした状況を生んでいるのである。

 

(3)警察中心の死因究明を国民目線の死因究明に

このように、警察に大きな権限が与えられているため、警察官は我こそが死因究明の主体であると言う自負を持つようになる。実は、検視官として訓練されたと言っても、私たち医師からみれば、医学的知識は非常に乏しいと言わざるを得ないし、2~3年で異動するため、経験値も低い。検視官の増員で、所轄のさらに検視経験のない警察官の負担が減ったことは評価できるものの、逆に、素人の検視官が増えただけではないか、とか、専門性を過信するあまり危険性も増したとの声もある。

加えて、このところ、各都道府県の科学捜査研究所(科捜研)の比重が高まっている。 昨年度から警察庁の方針で、経費節減を理由に、司法解剖に伴うDNA検査は原則大学の法医学教室等に委託せず、科捜研で行うよう指示があり、現にDNA検査を大学が独自にやったとしても、費用は出ない仕組みになっている。薬毒物検査にしても、科捜研は次第に機器を整備して、法医学に委託せずに済む体制を整えているように見える。これらは、私たちが思い描く、警察から独立した法医学研究所による死因究明等の体制に逆行するもので、鑑定の中立性という観点からしても疑問とするところである。検視官による外表検査をはじめ、これほど医学的領域に警察が踏み込むと言う国家は珍しく、犯罪の見逃しばかりでなく、冤罪の危険も高まることを指摘したい。

先日、鹿児島地方裁判所で強姦の罪で有罪判決を受けた男性が、控訴審で逆転無罪となった。これは、鹿児島の科捜研が、被害者を自称する女性の体内から得た液体を、精液としながらも、DNAが検出できなかった、としたにもかかわらず、法医学者による再鑑定で、別の男性のDNA型が「簡単に」検出された結果である。控訴審の裁判官は、特定できたにもかかわらず捜査官の意向で鑑定できなかったことにした証拠隠しの可能性にまで言及した。警察庁は、科捜研は研究者集団であり中立的な鑑定機関であると主張しているが、この事件をみる限り、警察の意向に反する鑑定結果を出すことをためらう科捜研の限界が明らかである。もし、本当に中立の機関というのであれば、組織そのものを警察から独立させるべきであり、そうでないと、同じような冤罪事件が再発する恐れが十分にあると言えるだろう。

犯罪捜査機関である警察の刑事局、刑事部といった部署、あるいは警察の下部組織である科捜研が死因究明の多くの部分を担っているというわが国の制度をある程度転換し、いろいろな機関が総合的に協力しつつ死因究明や身元確認の業務を行っていくという体制に作りかえることが、現状を打破する第一歩である。先ほども、都道府県に設置する協議会立ち上げの遅延を指摘したが、まずは一刻も早く、各道府県で関係者が一堂に会する協議会という場を設け、国民あるいは県民の視点で死因究明等の議論が行われることを望んでいる。

 

平成28年2月3日 岩瀬博太郎