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Vol. 2 千葉大法医学教室における経費に関する指針

司法解剖のインフラ整備に必要な条件

要旨

国から納付される司法解剖の経費を巡っては、その額の異常さのみならず、納入方法に関しても大いに問題があり、それが司法解剖のインフラの未整備につながっていると考えられる。法人化された現在となっては、大学法人への適正価格での経費納入が図られ、かつ、それが司法解剖のインフラ整備に使用されるような適正な納入方法が取られるべきである。

法人化前までの経緯

法人化前は、国立大学で行う司法解剖は文部科学省に所属する公務員の行うべき公務であると考えられていた。しかし、その運営経費の国への請求は適切に行われていたわけではない。社会通念から考えれば、各法医学教室ごとに、解剖を行うために必要な、施設維持費、人件費等を毎年算出し、解剖数が増加してきた場合、その分の拡充を要求するというのが必要な措置であった。しかしながら、日本の法医学教室には諸外国と違って会計担当の専属事務官はおらず、また研究・教育を本務とする大学サイドから見れば、大学の予算を持ち出してまで警察捜査に協力するのは異常だという見方もあったため、司法解剖の増加に見合った人員、設備の増強はなされることはなかった。それどころか、解剖数は増加したのに、文部科学省の行政改革のため、人員は削減された法医学教室が多い。また、解剖における感染症対策や廃液に対する対策もなされず、かつての報道でホルマリンや廃液垂れ流しが問題となったこともあった。このように、司法解剖のインフラ未整備は深刻な状況であり、明治?昭和初期の原始状態のまま維持されているか、それより悪化した状態にあるといえる。例えば、千葉大学法医学教室では、僅か解剖台1台と医師2名で、千葉県内の約85%の司法解剖を行っている状況にあるが、この医師2名とて、解剖のために雇用された人員ではなく、研究、教育のために雇用された人員であるという矛盾を抱えている。

解剖に必要な経費に目をやると、諸外国では1体当り20?30万円の解剖経費が必要とされ、日本における経費も同程度であると考えられている。従来、文部科学省から支出された経費は、職員の人件費(解剖のための人員枠は皆無)、施設維持費、研究・教育費としての教室費、解剖の消耗品代(解剖当必要経費)であり、具体的な金額を示すと、当教室においては平成15年度では、解剖体当必要経費80万円と、教室費160万円の合計240万円であった。この僅かな経費と、解剖専用の人員なしという悪条件の中で、年間150?180体の解剖を行っていたわけで、無料ボランティアのような運営がなされていた。

一方で、警察から納付される経費も存在はしている。しかし、その内訳は、東京以外での司法解剖では、解剖委託費(=解剖コスト、検査代)ゼロ円、解剖謝金(文書作成料)7万円である。「遺体は研究・教育目的で無料で大学に寄付しているし、警察や検察からの司法解剖の嘱託は法律上個人への嘱託とされる以上、個人への謝金納入だけで何が悪いのか」という横暴な意見も聞くが、一方で、同じように嘱託されて行われる精神鑑定においては、大学病院へ納付される検査代と個人謝金としての鑑定書作成料(1ページ1万円程度)は別々に算定されているし、東京都における司法解剖においては1体当り、20万?30万円の経費が納入されている矛盾もあるのである。このように、国(警察)が負担する経費は余りにも低額で、理不尽なものである。

また、額の低さだけではなく、経費の納入方法にも大きな問題があった。既述のように司法解剖においては、大学へ納付される解剖経費は皆無であり、大学教授の個人謝金(文書作成料の名目)として7万円が個人へ振り込まれていたのだが、社会通念上は、解剖経費として必要な20万円相当は、大学へ納入されるべきであり、その費用は解剖数が増加した場合には、人員、設備などのインフラ整備のために活用されるべきであるのだが、そのようなことは、国から国への経費の納入が法的に困難との理由から実現できなかった。また、教授個人に振りこまれた謝金も、解剖専用の人員(医師、歯科医師、解剖補助、検査技師など)を雇用する人件費とするにはあまりに低額であった上、個人謝金とされた以上、それを教授個人の所得にしても、解剖とは無関係な研究費に流用しても構わないとされ、結局この謝金が司法解剖のインフラ整備に使われることは不可能だったのである。

それにしても、国から国への経費の移動が困難だから、司法解剖の整備ができないのも仕方が無いとの論理に甘んじたことは如何なものであっただろうか?この点に関して、殆ど問題点を指摘できなかった法医学者にも問題があったが、もし仮に、司法解剖を嘱託する警察が主体となって、解剖数を増加させた時に、文部科学省と折衝しながら、司法解剖の人員、設備の充実化を図っていたら、司法解剖のインフラ未整備の問題は発生しなかっただろう。結果的には、極めて長い年月の間、警察はなんら他省庁と主体的に折衝することなく、勝手に解剖数を増加させてきただけである。そのため、司法解剖は、大学の研究・教育活動に支障を与えないだけの数を遥かに飛び越えて行われている。

法人化後の経過

法人化後は、法医学者は大学法人の職員として働いており、大学法人の本務は研究・教育業務とされている。国から独立した法人が発生し、しかもその運営交付金が年々削減されて行くことが決められている以上は、外部嘱託者である警察は、民法と、警察法施行令にしたがって、解剖経費を法人に納入しなくてはならない筈であり、そうでなければ、学生から徴収した授業料の捜査協力への流用が愁眉の的となる日も近いだろう。しかしながら、法人化前に、行政サイドによる折衝や検討がなされなかったこともあり、何ら対策が練られずに法人化に移行したのが現実である。それどころか、法人化に伴なって、解剖体当必要経費は打ち切られ、千葉大学法医学教室では前年度に240万円あった大学からの分配金は僅か60万円となり、危機的となっている。また、警察からの予算措置も今のところない。この状況が今後も継続するようであれば、司法解剖のシステムは数年で壊滅するであろう。

今後の指針

これまでの歴史的経緯を教訓とすると、日本の司法解剖を適正に運営するためには、犯罪や変死体の増加に見合った司法解剖のインフラ整備がなされるべきであり、かつ、そのために必要な経費を適切に大学法人へ納入する方法を作り出すことが必須要件である。このため、千葉大学では、法人化に際し、全国の国立大学に先駆けて解剖に必要な経費を算定し、内規を作成し、運営することとした。この内規の理想とする所は、これまでの経費納入の欠点であった、教授個人への謝金納付を廃し、大学法人への納付とし、設備や人員の拡大が必要な場合には、大学法人がその経費を活用できるようにしていくことである。今後、もし嘱託者からの経費納入が20数万円となった場合、千葉大学においては解剖数の増加に見合って、人員、設備の充実化が図られるであろう。しかしながら、今のところ、行政の対応はまだまだ鈍いのが実情であり、先行きが明るいとは言えない。

平成16年11月9日
岩瀬博太郎