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Vol. 5 司法解剖と医療関連死

平成17年9月から、厚生労働省が全国の数地域で医療関連死に関してモデル事業を開始した。医療関連死が話題になるとき、司法解剖の問題点として、司法解剖において作成された鑑定書が、遺族に対してや、医療行政上の対策等の目的のために開示されていないことが指摘され、モデル事業がそれを解消するというような話がされることが多い。しかしながら、司法解剖という制度自体が悪いのかといった点や、モデル事業が本当に万能であるのかといった点はきちんと議論される必要がある。

刑事訴訟法では、鑑定人等を含む関係者は、捜査の妨げになるような情報開示を行うべきではないとされ、それに従えば、捜査主体ではない法医学教室は、「鑑定書の開示が捜査の妨げになるか否か」を判断できる立場にないので、主体的に情報開示ができないことになっている。しかしながら、検察庁や警察が「鑑定書の開示が捜査の妨げとならない」と判断する場合では、これら捜査機関が主体となって、鑑定書を開示することが理論的には可能である。実際、検察庁においては、近年、犯罪被害者の遺族保護の観点から、鑑定書等の開示を極力行うように通達が出されており、検察庁に鑑定書が送致されている限りは、開示の可能性が高いと言える。しかし、現実には、鑑定書は中々開示されていないのであって、その原因は以下の2点であると考えられる。

  1. 人員不足から、多くの法医学教室で、全例で鑑定書を書いているわけではない。鑑定書を出していない件に関しては、警察や、検察庁で開示することは困難である。
  2. 警察が捜査中ということにして、鑑定書等の書類を無期限に棚上げしてしまい、それらを検察庁に送致していないことが多い。送致されていない場合では、検察庁が開示したくてもできない。

以上のような原因が挙げられるが、解決策としては、以下のようなことが考えられるだろう。

  1. 法医学教室の人員を整備し、全ての事例で速やかに鑑定書を書けるようにする。
  2. 民事裁判が起きた場合、民事裁判所は、強制力のない文書送付嘱託ではなく、法的強制力のある文書提出命令を法医学教室または警察に対して出すようにする。
  3. 法医学会等でガイドラインを作成し、法学教室からの鑑定書開示を可能にする。
  4. 検察庁への鑑定書の送致を迅速化するか、捜査官に開示の権限を持たせる。そのためには、例えば、警察または厚生労働省に、司法解剖を独自に嘱託できる医療事故専門の捜査官を置き、司法解剖実施後数ヶ月以内には、刑事事件として捜査を続けるか否かを決定し、検察庁に速やかに鑑定書を送致するか、あるいは独自に遺族や他の省庁へ鑑定書を開示できるようにする。

以上のような運営がなされれば、司法解剖の枠内でも、鑑定書の開示は可能になるだろう。このように、情報開示の問題においては、司法解剖という制度自体が悪いというより、司法解剖を取り巻く手続き上の問題が未解決のまま放置されていることが問題の原因であるということは強調されなくてはならない。また、今後も明らかな医療過誤の例(しかもこちらの方が民事裁判に繋がる可能性も高い)は司法解剖される可能性が高いのであり、司法解剖が廃止されない限り、司法解剖の情報開示の問題は無くならないということも忘れてはならない。更に、医療関連死以外でも、交通事故等や、司法解剖の結果病死と判定された変死体のような例でも、医療関連死と同様に鑑定書の開示が必要な例があることも忘れてはならない。

一方、厚生労働省のモデル事業は全ての医療関連死の問題を解決するかというと、今のところそうであるとも言い切れないだろう。あえて、モデル事業が真の制度改革につながることを期待し、この事業における問題点を以下に列挙してみた。

1. 解剖経費の問題

解剖実施に当たっては、法医学者、病理学者、臨床医の3者を解剖に立ち合わせるという。これだけ大勢の専門家を呼び出しておきながら1体につき約20万円の経費では、赤字採算である(病理解剖は1体26万円である)し、薬物検査などの実施は不可能である。これでは、年間数体程度行うだけの研究事業としては成り立ちうるが、本格的な制度化においては、経費面を考え直す必要がある。それを怠ると、研究事業期間中だけは、比較的真面目に運営できたとしても、その後の実際の制度化においては、杜撰な解剖・検査が実施され、いい加減な判定がなされることが恒常化するだろう。また、経費の効率という面では、解剖の実施自体に3者も関わる必要であるのかどうか、検討を要する。最も効率的な運営は、病理、法医のいずれかが解剖を行い、解剖前後においては、相互に電話等で相談し、臨床医の意見も聞きながら結果を判定することだと思われるし、そうした運営でも解剖の精度がことさら悪くなるとは思えない。

2. 鑑定人が不明確であるという問題と鑑定書等レポートの開示の問題

現在のところ、解剖の結果に関して、執刀医のレポートや臨床医の意見交換などのレポートが全開示されるという議論には至っていないようである。これでは、現行の司法解剖と殆ど変わりが無いだろう。また、医療過誤の有無の判断をした臨床医が誰であるのかや、レポートを作成した責任者が病理学者なのか、法医学者なのか不明確となる可能性もある。もし、これらの問題が解消されないと、判定において密室性を感じさせるので、当事者(医師、遺族)は判定を不当だと感じる可能性が高くなる。

3.解剖従事者および解剖施設の整備を目指した事業でははない点

この事業は元来法医解剖的な要素を多く含む事業であるが、法医学者の不足をカバーする意味もあるのか、解剖そのものへの病理学者の関与も考慮されている。しかし、急場しのぎで病理学者を解剖執刀者として流用しても、適正な経費負担に基づく将来の人材育成制度の確立がなされなければ、近い将来に、病理・法医どちらにおける運営も破綻するだろう。これは、これまで法医学者が、司法・行政解剖で味わった苦汁と同様である。付け焼刃な制度改革であってはならない。

4.司法解剖との関連

司法解剖・行政解剖とは異なる第三の解剖が制度化されても、司法解剖が残存すれば、明らかな医療過誤の例や、交通事故などが絡んだ病院での死亡例は司法解剖に回る可能性が高く、そうした例の情報開示に関しては、厚生労働省のモデル事業が制度化されても、放置されることになる。また逆に、司法解剖における種々の問題が解決されれば、本事業の存在意義自体が再考される必要性も発生するだろう。

厚生労働省モデル事業の動きなど、近年、ようやく異状死の問題が注目され始めたことは、歓迎すべきことである。しかし、このホームページの別の項でも述べられているように、現在発生している問題は、医療関連死における問題だけではない。他にも、介護施設や自宅、路上での死亡例における、犯罪、事故、感染症などの見逃しの危険など、日本の法医解剖には多くの問題が発生している。政府には、医療関連死の問題だけでは無く、他の異状死・変死の問題をも包括的・抜本的に改革する方策を打ち出して欲しいと願うばかりである。

平成17年9月26日
岩瀬博太郎