SUGGESTION

HOME > SUGGESTION > Vol. 10

Vol. 10 死因究明等推進計画検討会の方向性

2012(平成24)年6月、「死因究明等の推進に関する法律(略称:死因究明等推進法)」の成立を受け、同年10月、各大臣や各界代表者からなる「死因究明等推進会議」の下に「死因究明等推進計画検討会」が置かれた。私も法医学者の立場で委員に任命され、1月に1度ずつ内閣府(永田町合同庁舎)で行われる会議に出席している。この2月21日には第16回目の会議がもたれ、そろそろ最終とりまとめの段階に入りつつあるので、この経過を踏まえながら、個人的な考え方をお話したい。

 死因究明等推進法は、死因究明と身元確認に関し、その目的と基本理念を定め、国や地方公共団体の責務を規定した後、第6条で、重点的に検討され、及び実施されるべき施策を掲げている。さらに、第7条で、政府に「死因究明等推進計画」を定める義務を課し、第8条以下で計画案を作成するための「死因究明推進会議」を規定している。私が委員として議論に参加しているのは、法定はされていない、「会議」の下の検討会だが、実質的にはこの検討会である程度の内容を決め、推進計画の案を作るように位置づけられている。

(1)迷走を続けた検討会

 具体的には、第6条に掲げた施策を実現するためのフレームを作るのが目的だが、1年半もかけた割には内容に乏しくかなり迷走したというのが本音だ。細かな内容は、内閣府のHPに議事録が掲載されているのでそれをご覧いただきたいが、その多くは、例えば、「死因究明等の目的は何か」といった抽象論で終わっている。私たちの立場から見れば、死因究明等の目的は極めて自明であり、最終的には国民の安全と健康に寄与することに尽きるし、世界的にみれば先進国ではどの国でも当たり前に行われ、かつ高い公益性が認められており、今さら目的と言われても首を傾げざるを得ない。さらに、目的は推進法と同時に成立し、昨年(2013年)4月に施行された「警察等が取り扱う死体の死因又は身元の調査等に関する法律(略称:死因・身元調査法)」の第1条にも、「この法律は、…死因が災害、事故、犯罪その他市民生活に危害を及ぼすものであることが明らかとなった場合にその被害の拡大及び再発の防止その他適切な措置の実施に寄与するとともに、遺族等の不安の緩和又は解消及び公衆衛生の向上に資し、もって市民生活の安全と平穏を確保することを目的とする。」と書かれているように、法案の策定過程で一応の決着を見ていたはずである。では、なぜ検討会で目的論争をしなければならなかったのか。その裏には、縦割り行政の悪い影響があった。

 これら2つの法律が成立した背景には、警察庁に設置された「犯罪の見逃し防止に資する死因究明制度の在り方に関する研究会」の議論があり、その議論のメーンテーマは、研究会の名称が示すように犯罪の見逃し防止だった。そして警察庁としては、公衆衛生を含めた一般の死因究明そのものには興味が薄く、所掌事務の範囲で物事を考えるのは当然とも思えた。しかし、死因・身元調査法の目的には犯罪以外の事項があり、さらに公衆衛生の向上という文言も入った。警察庁としては、自分たちの所掌を超える部分は他の省庁にやってもらいたいと考えたのである。その背景には予算が見え隠れする。死因究明等の議論は、今まで、あまりに片隅に置かれていたため、所管省庁が明確でない。いろいろな議論の中で、まず、異状死体が集まるのは警察だから、警察が初動の調査をするというところまでは合意ができていた。しかし、公衆衛生の向上のため、警察が検査・解剖まで責任を持ち、カネを払うのは筋が違うと考えたのだろう。そこで、公衆衛生とは何か、というさらに不毛な議論が続いた。元来、公衆衛生という用語はpublic health の訳であり、むしろ「集団としての人々の健康」というような意味合いのはずである。だから占領軍が原案を作った日本国憲法の第25条2項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」とされ、公衆衛生という言葉が医療も含めた広い意味であることからも納得できる。だれかが、公衆衛生という概念を持ち出せば厚生労働省に死因究明の責任の半ばを負わせることができると考えたようだ。ところが、厚生労働省は、逆に公衆衛生という言葉を現在行政が使用している狭い意味で定義し直し、真っ向から反論したのである。生活習慣病、感染症などの施策実現に当たっては、死因究明は重要だが、現在東京都などで行われている監察医制度でも統計的に対応できる、などの反論だった。どこまでが本音かは分からないが、生きた人間に対する施策、特に医療・介護の経費が膨張し、予算の削減が迫られているなか、死んだ人間に対する予算を増やす状況にはない、という厚労省側の背景が垣間見られた。このようにして、目的論争は何の成果も得られないまま終わったのである。

 しかし、私からみると、犯罪の見逃し防止か公衆衛生の向上か、という議論の立て方に問題がある。本来、死体に初めから「犯罪」とか「公衆衛生」といった名札が付いているのではなく、調査・検査あるいは解剖を経て結論が出るのである。わが国では以前から外表と状況だけで犯罪の疑いの有無を決め、犯罪性なしとされるとそのまま焼却されるとの制度上の欠陥によって犯罪や事故が見逃されたという経過がある。どちらの所管かという議論ではなく、できる限り一元的に対応するという方向性が不可欠である。

(2)専門的機関の全国的整備

 推進法第6条には、具体的な基本的施策が8項目挙げられ、その第一は、「法医学に関する知見を活用して死因究明を行う専門的な機関の全国的な整備」となっている。これこそが、前の警察庁研究会では「法医学研究所」として提案された、解剖など死因究明等の実施機関であり、法医学会が「死因究明医療センター」と名付けた構想でもある。すなわち、この項が、私たちが新制度の肝と考えているところであり、この議論が進まない限りは検討会の意味がないと考えていた。昨年6月に公表された「中間報告書」でも、この件にはまったく触れられず、「今後引き続き議論が必要となる主な事項」に入れられたにすぎない。

 中間報告後、検討会で議論がなされ、ここにきて国が死因究明等の政策や基準、総合調整に関わる部分を受け持ち、具体的な実施機関はそれぞれの都道府県で今後検討するという整理で話は進んではいるが、ここでも私たちの不安は尽きない。

 第一は、国の司令塔がどれくらいの規模でどんな仕事をするのかが、いまだに不明確だ。国の機関ならせめて局や課といった担当部局ができるのかと思いきや、そうでもないらしい。各省庁にその所管の仕事をやらせ、司令塔が総合的にみるということだが、この問題は現状を打開できるかが問題なのに、そこに応えられるか非常に心配になる。

 第二に実施機関。これは、まず地方で行政(知事部局)、医師会、法医学、警察などが協議会をつくり、そこで地方にあった組織を検討するということで、私個人は、千葉で公益法人をつくり、行政や医師会にバックアップをしていただきながら、死因究明・身元確認の業務を行うとの構想を考えている。しかし、地方分権論の高まりもあり、こうした事務は国が地方に必ずやれとは言えない、との現状を考えると、各地方で取組みに差が出ていき、地域格差の是正という方向になるのか、先が見えない。同時に、果たして各都道府県が従来やってこなかった業務について積極的に取り組むか、非常に疑問である。

 第三に薬毒物などの各種検査体制。法医学教室でできる大学、できない大学があり、現状は地域ごとにバラバラだ。検討会でも、各種検査の体制を整備し広域的な拠点をつくるなどの話が出てはいるが、まだ議論は不十分だ。警察がどこまで検査を実施するのかについても理念が定まらず県の事情に合わせて実施されているにすぎない。私としては、薬毒物検査などは、地域の実施機関あるいは近隣の機関で行うべきだし、鑑定の中立性や鑑定の専門性からみれば、警察が直接乗り出すべき分野ではないと思っている。現在、警察や科捜研が行っている実務をできるだけ地域の実施機関で行うような体制の整備こそ必要である。

(3)検案の高度化など

私たち、法医学の医師は全国で約150名と言われている。例えば、フィンランドやオーストラリア・ビクトリア州では検案という概念がないのは、すべての異状死体を法医が見る体制があるからだ。ところが、米国では地域差があり、ロサンゼルスのように法医が見るところもあるが、わが国同様、臨床医が地域のメディカル・エグザミナーとして検案に似た死亡診断をしているところもある。そこで、専門的な調査の要否を判断して法医学的機関に送るのである。日本も、東京都23区など一部を除く多くの地域で、法医が検案をやりきれないのは自明だから、検案医の先生に頼らざるをえない。そこで、今回、日本医師会は検案体制の充実・強化について正面から取り組む姿勢を見せている。現在以上に法医学教室との連携も強め、臨床の先生が検案能力を高め、外表検査以外の薬毒物や画像など必要な検査を実施する体制を整備しようという提案は評価できる。

仮にそれまでの試みが成功したとしても、問題はその後にある。検案医が諸検査を実施し、解剖の要否を決定するシステムができた場合、まだ死因が未解明のご遺体が多く残り、解剖数が現在より増加することが予想される。その場合、今も直面する2つの問題がある。一つは解剖を行う医師の人材育成であり、もう一つが予算措置だ。この2つを克服しない限り、検案体制の充実も絵に描いた餅になりかねないのだ。

第6条関係の課題はまだたくさんある。法医学に係る教育・研究拠点の整備については、とりあえず数校が事業対象となり、スタートを切っているが、その成果はまだ明確でない。身元確認のための科学的なデータベースの整備についてはほとんど着手されていない。

国会審議の際も情報開示については附帯決議がなされたが、遺族に対する配慮、情報の他機関への提供を含めた開示の問題など、もっと議論をしなければならないだろう。例えば、司法解剖をした事件が不起訴になった場合、なかなか解剖情報が開示されず、民事裁判に生かせないといった問題はしばしば指摘されているし、検察庁もそれなりの努力はしているといっても、原則非開示という現状は改まっていない。すでに、16回も検討会を重ねている割に、その辺の議論が深まっていないのは、途中非生産的な話題に多くの時間を費やしたためである。

さらに、先ほど少し触れたが、予算措置の見通しもはっきりしない。推進法は2年の時限立法であり、このまま進めば今年9月に失効する。そうしたなか、最終報告に基づいて閣議決定するというものの、厳しい財政事情と従来の各省庁の対応をみる限り、実効性のある予算措置となるのかが見えてこない。

いろいろ心配の種は尽きないが、制度改革がそう簡単に進む問題でないことは理解しているし、検討会に参加している委員の皆さんは、本当にわが国の死因究明等の体制を憂い、よりよい改革に向かうための議論をしてきたと思う。推進会議の事務方はできれば4月にも最終報告をまとめたいと考えているとのことである。それならばなおのこと、検討会委員の意見を生かすべく、各省庁の皆さんは思い切って縦割りの殻を割る決意をしてもらい、積極的に横断的な責任分担をし、将来悔いを残すことのない原案を作成してもらいたい。また、国をリードすべき政治家の皆さんにも一層のご支援を期待している。

平成26年2月24日
岩瀬博太郎