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Vol. 4 監察医制度の落とし穴

1.監察医制度非実施地域における問題

変死体が発見された場合、死体外表に外傷が無く、周囲の状況にも異常が無く、一見して犯罪性がないと思われる場合でも、死因が病死であるとは限らない。このような死体でも、毒殺や、腹部損傷による事故・他殺などの可能性も残されている。また仮に病死であっても、別の病名と誤判定された場合、生命保険の受給額が異なる場合もありうるし、保護責任者遺棄致死が疑われるような事件では、例えば心筋梗塞による急死と診断された場合と、糖尿病による昏睡(放置死の疑いも残る)と診断された場合とでは、後の事実認定に大きな違いが生じる。従って、外表検査のみの死体検案によって医学的に死因の判定が不可能と思われる場合には、解剖、CT、血液検査等の医学的検査により死因が極力正確に究明されるべきであって、本来はそうした医学的検査の後に総合的に犯罪性の有無が判定されるべきである。従って、監察医制度の無い地域では、全ての変死事例に関して死因究明のために司法解剖が選択されてしかるべきであるし、司法解剖の手続きは初動捜査活動の一環として、状況聴取等の捜査活動と同列の扱いをうけるべきである。一方、監察医制度設置根拠である死体解剖保存法第8条は、制度実施地域では、警察が非犯罪死と判断した死因不明な死体を監察医が解剖できると規定している。しかし、この法律は、裏を返せば「非犯罪死体のうち死因が不明なものに関しては、監察医制度のない地域では解剖できないし、しなくてもよい」と読むことが可能である。つまりは、この法律は「監察医制度のない地域において、警察が外表検査と状況調査のみから非犯罪死体であると一度決定してしまった死体があった場合、その死体が医学的側面からは、犯罪の有無を含めて死因不明と考えられるとしても、その地域に監察医がいない以上、解剖などの医学的検査はできないので、当て推量でいい加減な病名を付けざるをえないのであり、そうしても一向に構わない。その結果、犯罪・事故・中毒や流行病を見逃してしまい、国民に不利益をもたらすとしても、それもやむを得ない。」と言っているようなものだ。事実、監察医制度のない多くの地域で、変死体がそのように処理されており、犯罪や事故、流行病、中毒などが数多く見落とされている。これは、監察医制度の設置(死体解剖保存法第8条)が非実施地域に与えた悪影響ではなかろうか。

2.監察医制度実施地域での問題

司法解剖が行われる場合、警察本部から検視官が出動し、所轄署に対して適切な捜査指揮を行う。全ての変死体に関して、初動捜査の一環として司法解剖が実施されている限り、綿密な死因調査の上に、充分な状況捜査がなされることが期待できるので、正しい結論が導き出される可能性が比較的高い。しかし、日ごろ多くの捜査で多忙な所轄署レベルでは、余計な手間を避けたい思惑が働きがちである。そうした思惑がある中で、監察医制度は所轄警察署にとって非常に便利な制度であって格好な逃げ道になっているように見える。監察医の検案による遺体の処分は、警察本部への報告も、検視官から要請される追加捜査も要さないし、また監察医の行う行政解剖実施に当たっては裁判所への令状請求も要さないので、司法解剖に比べれば格段に簡便な手続きなのである。もちろん法律上、死因決定が監察医の判断に一任されるためには、一度警察によって「犯罪性がない」とされることが大前提である。本来、「犯罪性がない」と正確に判断するためには、まずは「犯罪性があるかもしれない」と疑い、その可能性を一つずつ否定していく手続きが必要であり、そのためには「犯罪性がある」と認識可能な事例の場合以上に、手間のかかる状況調査が必要であるし、そもそも、犯罪性の有無などは、解剖等の医学的検査実施後に判断されるべきことでもある。このように「犯罪性がない」との判断のためには、非常に綿密な手間のかかる調査が必要な筈なのである。しかし、現実には、所轄警察署においては、面倒な手続きを避けたいがために、監察医に持ち込む手続きが好まれているのであって、一度所轄署でいい加減に「犯罪性なし」と判断し、監察医に死因決定を委ねさえしてしまえば、本部からの指揮も受けないし、所轄署レベルでの簡単な状況調査だけですませてしまえるという誘惑があるのだ。そのような誘惑がある中で、所轄署が出す「犯罪性がない」との結論は、充分な捜査を行った結果であるとはいい難いのではなかろうか。つまり、監察医に死因判定が委ねられる際、警察による綿密な状況調査が行われている保証はないと言える。さらに問題なのは、警察の検視官や米国の監察医と違って、日本の監察医には捜査権限とその責任がない点である。監察医に捜査権が無い以上、監察医は、所轄署による状況調査の結果を鵜呑みににするより他ないので、自殺や病死といった所轄署にとっては便利な死因へと誘導される危険性が高くなるのである。このように、日本の監察医制度では、検案時における死因の種類(自殺、他殺、事故、病死)の決定において、その決定の根拠となる状況調査に関して、警察も監察医も誰も責任を取らなくて良いような無責任な制度となっており、初動段階での単なる噂や当て推量といった無責任な判断材料だけで、死因の種類が決定してしまう危険性が極めて高い。しかも、監察医によって解剖がなされず、外表検査によってのみ死因判定がされる場合は最悪で、仮に後になって、初動段階で得られた状況と異なる事実が発覚し、犯罪や事故が疑われるようになった場合、証拠保全が全くできていないという結果を生じる。事実、後になって、監察医が記載した死体検案書の内容に疑問を持つ遺族も多い。これは、監察医制度がなく、警察嘱託医が検案を行う地域でも、全く同じことであるが、監察医制度の下では、司法解剖の手続きと比べて不十分で無責任な手続き(よく言えばこれを「手続きが簡素化されている」と言うのであろう)があたかもきちんと制度化されているかのような錯覚を与える点では、より性質が悪いと言える。監察医に独自な捜査権とその責任を与えるなどして十分な状況調査が保証されない限りは、簡素な状況調査や手続きのみで、監察医に遺体を引き渡せるという制度は、所轄警察署にとっては便利であっても、真相究明という面からは危険な制度であり、国民にとって不都合な制度ではないだろうか。それは、医療事故のようなケースにおいても同じであろう。

3.改善へ向けての方向性

日本型監察医制度は全国津々浦々に展開していない限り、非実施地域に害悪をもたらしうる欠陥制度である。また、監察医には捜査権がない以上、解剖しない場合の検案による死因決定において、所轄署からの不十分な情報を基にして不適切に死因が決定される危険性が高いので、理論上剖検率は100%に設定される必要もある。このような制度では、「中途半端に監察医制度を普及させるよりは、それを廃止し、すべてを司法解剖扱いとしてしまったほうが得策である」と言われても仕方あるまい。将来は、改善された監察医制度を全国に普及させるか、監察医制度を廃止して、全て司法解剖扱いするかのいずれかの選択がなされるべきだろう。また、状況調査における不備を改善するためには、監察医へ捜査権限とその責任を与えることも選択肢の一つであろうし、また、全ての変死事例において、不慣れな所轄署員による杜撰な捜査を廃し、専門の検視官(専門官)が、どの変死事例に関しても平等に捜査指示を行うとする方策も選択肢の一つであろう。後者の点では、千葉県警が開始した検視專門官を本部以外にも配置するという制度は注目に値する。いずれにしても、現在のような、警察の仕分けによる司法解剖・行政解剖という二元的運営方法は好ましいものではなく、将来は一元化されることが望ましい。また、司法解剖ベースで一元化される場合は、その情報開示に関しても充分考慮されるべきであろう。

平成17年9月6日
岩瀬博太郎