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Vol. 11 死因究明ための薬物等の検査は専門的機関で行うべきであるー名古屋高裁の判決から

今年1月、名古屋高等裁判所で、画期的な判決が下された。(判決文のURL:http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20140311170406.pdf)事件の概要と訴訟の経過は以下のとおりである。

会社員のBさんは、会社の宴会後中国人研修者を車で送る途中、センターラインをはみ出し、トラックと正面衝突し死亡した。警察は現場に流れていたBさんの血液を採り、科学捜査研究所で検査をさせ、その結果、Bさんが酒気帯び運転をしていたとしたため、自賠責保険金支払いの免責事由となり、Bさんの遺族に保険金が支払われなかった。これに対し、Bさんは飲酒運転をしていないと確信しているBさんの遺族が、保険会社を相手取り、酒気帯び運転はしていないので自賠責保険は支払われるべきだとの民事裁判を起こしたところ、地裁では訴えが認められなかったものの、控訴審である名古屋高裁は一審判決を覆し、Bさんの遺族は勝訴した。

その主な判決理由は、科捜研が行った検査結果に関する判断が、現在の法医学の知見によって否定されたというものである。エチルアルコール(エタノール)は死後に産生されることもあるので、単にエタノールが検出されたからと言って飲酒の結果とは限らない。過去には、エタノールが死後産生される際、必ずn-プロパノールも産生されるとの記載が法医学の教科書にもあったが、現在では、当法医学教室に在籍していた矢島大介医師らの研究により、必ずしもn-プロパノールが産生されるとは限らない、というのがむしろ有力な説になっている。警察は、n-プロパノールが産生されていなかったから生前由来のエタノールであると最新の法医学の知見を考慮せずに主張をしたが、裁判所はこれを否定したのだ。以前、死体由来の血液からn-プロパノールが検出されないことを以て、飲酒運転とされ保険会社が保険金を払わないことがあると聞いているが、そうした人権侵害を予防する上でも画期的な判決であると考える。

もう一つ指摘されたのは警察のズサンな管理体制である。まず、本来ならご遺体の大腿血を採取すべきところ、細菌やカビ等の付着している可能性のある、流れ出た血液を採取しているのが問題である。そして、事故が起こり血液を採取したのが12月8日だが、科捜研に送られ冷蔵庫に納められたのは同月14日であり、その間の保管方法は不明とされている。採血の状況やズサンな保管によって細菌やカンジダ等のカビが増殖しエタノールが産生された可能性が強く、このことからもエタノールが生前の飲酒に由来するものであると言えないこととなった。

一方、宴会の席でBさんが飲酒したことはだれも目撃していないし、事故の様態も飲酒運転を裏付けるものでなく、自賠責保険の保険金は支払われるべきとの判決となった。

要約すると、九州のA県警のズサンな管理と法医学に対する無知が、飲酒運転という冤罪を生み、ただでさえ不幸な遺族に死者の不名誉と保険金の不払いという追い打ちをかけたのである。この判決はこうした警察の行為を正面から否定したという意味で、その意義は大きい。

話は変わって、前回もお知らせしたとおり、現在、内閣府に置かれた死因究明推進計画検討会で議論が行われている。役人が作った報告書素案の薬毒物検査の項目をみると、「警察において、…科学捜査研究所の体制整備に努めていく。」、「警察において、簡易検査キットを用いた予試験の徹底、…、科学捜査研究所において本格的な定性検査をしているところ、…」、「海上保安庁においては…」との3項目しかなく、私たちがもっとも必要と考えている、「法医学に関する知見を活用して死因究明を行う専門的な機関」での薬毒物検査体制に関する記述が皆無である。私や同じく専門委員で福岡大法医学の久保教授が、「政府が現状の死因究明機関や今後設置される専門的機関における薬毒物検査体制の整備を支援する」などの文言を入れるよう、意見を出しているのだが、お役人の方は抵抗している。

現在警察庁は、法医学教室が行う検査に対して値下げを迫る一方、科捜研でできる検査は科捜研でしたい、といいった意向を示しているように感じられる。しかし、冒頭の判決にもあったように、科捜研が行う検査が法医学の最新の知見に基づいて実施され判定されているのか、非常に疑わしい。

一方、この3月19日、衆議院法務委員会で、郡和子議員がこれに関する質問をしているので、それに触れたい。郡議員は、科捜研でする検査に専門性・中立性が担保できるのかという点に疑問を呈し、次のような主旨の発言をした。「世界各国では、犯罪鑑識のための機関と死因究明のための機関を分けるのが常識。薬物分析であっても犯罪鑑識ならその薬物が違法なものかが問題だが、死因究明の場合、その薬物の摂取量が致死的なものだったかどうかが問題になる。また、死因究明は、解剖、薬毒物検査などの結果を医師が評価し総合的に判断するもの。医師のいない科捜研にそうした評価ができるとは思えない。一方、裁判で被告人の弁護人が科捜研の鑑定を受け入れない例もあり、こうした中立性の点も問題である。」政府答弁は、死因究明と犯罪鑑識を分けて考える点は認めるものの、現在の警察と科捜研の立場を擁護するばかりだったが、国会でこうした議論が行われていることについて、ぜひ多くの皆様にも関心を持っていただきたい。

郡議員の指摘のとおり、警察内部での検査は、専門性・中立性の両面から大変問題である。まだ、すべての法医学教室で国際標準の薬物分析を行えるような体制になっていないが、本来、死因究明推進計画によって、政府の支援の下、専門的機関を全国に整備するなか、その機関で薬毒物検査が行われ、政府はそれらについて技術的指針を作り、国内での薬毒物検査の標準化を実現すべきである。しかし、現状では政府の態度も煮え切らないし、警察はといえばできるだけ警察内の検査にシフトし、法医学教室に対する経費は減らそうと考えている。今後どうなっていくか考えると、悩みは尽きない。

平成26年3月24日
岩瀬博太郎